ヨーロッパ思想史のなかの自由 半澤考磨

昨日ジュンク堂で偶然見つけて購入し、今日の朝読み終わりました。私が今まで述べてきたこと、自由意志論、それと関連する神学上の問題、自然法ジョン・ロックデカルトの思想、アウグスティヌス、トマスアクイナス、スアレスにマリタンと全部出てきます。ロックの『市民政府論』の註解も中途半端、デカルトの『省察』の註解も同様に途中で止まっており、神学の講義も結局進んでおらず非常に心苦しかったのですが、この書籍を読んで頂ければ前提となる知識の共有が容易になるかと思います。もし、仮に私の以前からの言説に興味をもたれた方がいらしたならぜひ読んでみてください。
*もう少し詳しいレビューは後ほど書きます。
幾つか弁明が必要になると思うのですが、半澤氏のことは今年の春に『近代日本のカトリシズム―思想史的考察』を読んでおり知っていたのですが、この書籍の公刊が古く(1993年)最近の書籍に関してチェックができていませんでした。いつもならアマゾンで購入し、著者のリンクから他の書籍をチャックするのが常なのですが、出不精でずぼらの私がなぜか書店で書籍を購入したためすでに公刊されていた本書を知りませんでした。読み終わった後に検索したのですが、読売新聞で紹介されていたので手に取った方もすでにいらっしゃるかと思います。
 ですが、ここで書かれている事柄が広く一般に普及していれば、私がこれほど声高に自然法や自由意志の問題を叫ぶ必要も存在しないと思われます。半澤氏も本書で述べていますが、へゲールの〈亜流〉歴史観が法学、政治史では支流を占めており、古典古代(つまりは、ギリシア・ローマ文化)を引き継いだアウグスティヌスに始まる「自由」の問題が忘却されている現状にあって本書の指摘する問題、また方法論は非常に有益であると考えます。
 また、個人的に非常に興味深いのは本書で半澤氏がデカルトカトリックの思想家として位置づけていることです。それも形而上学ではなく実践理性、つまり道徳哲学ないしは法哲学的問題の流れのうちにです。これは私を非常に驚かせました。この驚きは多くの人が感ずるものと全く反対のものでしょうけれども。私は以前からデカルトは彼自身正当なカトリックの信仰者であり、またカトリックにとり多大な貢献を当時したのと同様現在もしうると述べてきましたが、カトリックの神学においてこの発言は傍流ないしは異端的なものであり、心底落胆していました。これはショーペンハウエルも述べていることですが、自ら考え抜いて導き出した結論を他の書籍のうちに見出す者は幸いであると。また、同様にロックの自然法論について半澤氏は本書でトマスの自然法論との比較を通し、近代政治論においてのロックの特殊性について言及していますが、これも全くもって私の抱いてきた見解と同様のものです。私は以前のエントリーでロックの『自然法Essays On The Law Of Nature: The Latin Text with a Translation, Introduction and Notes, Together with Transcripts of Locke's Shorthand in his Journal for 1676』及び彼の『聖書信仰の合理性について』などに対しての言及、研究が乏しすぎると指摘していましたが本書ではロックの『自然法論(上記)』とトマスの『神学大全』中の「自然法論」の比較がなされています。
 それに加え、日本では注目されていないマリタンとスアレスの政治思想を取上げている点も非常に喜ばしいものです。以前よりマリタンに関しては田中耕太郎及び教育基本法に関してで幾度か名前をあげましたが、マリタン?という反応ばかりで若干しょげていたのですが、本書でマリタンの『人権と自然法』が取上げられています。当然ながら私も『人権と自然法』には既に目を通しています。また、スアレスに関しては私の卒論の対象となるかもしれない人物です。これらの人物とその思想を「思想史」という枠で位置づける本書は私にとって非常に有益な一冊です。それはわたし自身にとってもですが、私の読者に対してもこれらの耳慣れない人物と思想を耳慣れた他の人物、思想家と関連付けることで理解をしやすくしてくれるからです。
 しかしながら、一読しただけで私と半澤氏の間に幾つかの見解の相違がある点も指摘することは当然できますし、またいくらかの文献の追加をすることも当然ながら可能です。
 具体的には224項からの「スアレス『諸法および立法者としての神について』」において、半澤氏は「私の知る限り、日本ではほとんど唯一のまとまったスアレス研究である、田口啓子氏の『スアレス形而上学の研究』(一九七七年、南窓社)…(p225)」と述べていますが、私はこれにもう一冊日本語で書かれたスアレスの研究書をあげることができます。ホセ・ヨンパルト/桑原武夫『人民思想の原点とその展開』(成文堂、一九八五年)以下に目次を引用しておきます。これもたまたまなのですが、先々日に講義をいつものようにサボり、以下に引用した目次と第三部の「スアレスジョン・ロック」をちょうど読んだところでした。詳しい言及は後にするとして、半澤氏が言うようにスアレスの研究はまとまったものがほとんど日本ではなく、上記の田口氏の研究は数少ない日本での研究の一つなのですが、半澤氏がなぜ『人民思想の原点とその展開』に言及しないのか不思議です。ですが、わたしも本書を見逃していたように人間は全知全能ではありませんから半澤氏が捕捉できなかったとしてもしかたのないことです。
 ホセ・ヨンパルト氏もまえがきにおいて、スアレスが日本のアカデミズムではほとんど知られておらず、また氏は日本の法学においてドイツに対しての偏重が見られそれが多くの弊害を生んでいると指摘しています。この点は半澤氏が本書の冒頭で述べていることと同様の問題意識に立つものです。それは当然ながら私の問題意識とも同じものです。