宗教について公において書き記すことについて

 さて、先日の続きの前にウォーミングアップをしないといけない。先日も書いたように私は3年前にローマ・カトリック教会の一信徒となりました。要するにカトリックの信徒と言うことになります。わが国においてはカトリックと各プロテスタントとの違いや、更に言うと東方教会は下手をしたら知らない人すらいるのではなかろうかと思うのですが・・・兎も角、基本的な知識の普及すらままならない状況です。〔各キリスト教の宗派について知ることのできる手軽な書籍としては知って役立つキリスト教大研究 (新潮OH!文庫)がイラストも多くお勧めです。*1
 ですので一般の読者を対象にする場合、キリスト教と言う枠から話始めなければならなくなります。つまり、牧師も神父もなんもかんもわやな状況から。 更に言うとそれぞれの求めるもの、アプローチの仕方も様々です。音楽や美術から始めたほうがよい人もいるし、がちがち哲学から入る人もいるだろうし、文化・習俗から理解を深めるのもありだし、法学からだってあるし(私はどっちかと言うとこの系統、自然法やらから入りました。今じゃ形而上学だぜ、笑うしかない。次流れ着くとしたら霊性神学だの神秘主義なので笑う側から笑われる側にグレードアップw)等々まぁ、色んなアプローチがあってよいわけです。キリスト教、ましてカトリックカトリックそれだけで扱うにしろあまりに広い領域を持つので・・・財産法ですら学問として扱うんですから*2、神学を語るのでさえ(これはカトリックと言う宗教を一つの枠として眺めたとき、ごくごく一部にすぎない)あまりに広くとウンザリしてきます。
 ですから、あんまり私のエントリでお腹一杯にならないとか、口に合わないとかで怒らないでください。できうる限りの努力はいたしますし、ここんとこどうなのと聞かれれば調べて答えられるものには答えていこうと思います。でも、あんまし難しいのは勘弁。
 これでいちよう回答にはなったかな、宗教を神学から所謂メタな視点で(この場合文字通りメタフィジカ、形而上学で語るということともなるけど)語るとしてもえらい大変なのです。無論何度も書いてるけど地道にやっていきますが。
 と、id:Brittyさんのところの「宗教について書くむずかしさ〔http://d.hatena.ne.jp/Britty/20090206/p1〕」のブックマコメに神学を学んでいる人間として答えてみた。なお、この手の質問に答えるのは私のブログでも前から必用を訴えているスコラ学とid:DrMarks先生の言うところのfundamental theologyつまり基礎神学の領域になります。正直この二つの分野研究してるだけで一生飽きないと思う。
 これはどうでもよい私信ですが、fundamental theologyを根本神学と訳している人はあまりいないように思います。うちの神学部(上智大学)の科目名も基礎神学です。日本の読者に対して書くなら“基礎神学”と表記なさったほうが理解がしやすいかと思います。〔宛:DrMarks〕
 これまた以前のエントリでも書きましたが上智の“学部”の講義に基礎神学の科目はありません。あるのは院の講義のみです。なお日本の読者の為に便宜を図って書籍の紹介をしておくと「マウルス・ハインリッヒ講義集 現代日本におけるキリスト者の基本的神学」というシリーズが全五冊で出ていますので参照してください。第二バチカン公会議をふまえての書籍ですし、日本の現状に配慮しながら書かれているので参考になると思います。と言っても私もこのシリーズ全部熟読しているわけではないのですが…。あと、何よりも重要なのが『カトリック教会のカテキズム』ですし、『第二バチカン公会議公文書全集』です。そして、第二バチカン公会議でも述べられていますが、今も昔も神学として、そして神学者として模範としなければならないのは教会博士聖トマスです。これまた私の以前のエントリで書いておきましたが、『神学大全』は“初学者”のための神学の教科書です。その辺のド阿呆神学者の書くもの読むよりは聖トマスの書いたもの読んでるほうがマシです。ですから以下に於いては昨日と同じく以下の書籍を参照しながら話を進めていきます。

 で、ここからが本題なのですが、私は2007年の年末辺りから何とかかんとかして、キリスト教や特に神学の知見を一般に提供しようと努力をしてきたわけです。(それは主にTwitterクラスタ周辺でやっていましたが)その際、非常に困ったのが神学の学位も持たないのにやってよいものなんだろうかと言う恐れでした。だって未だに異端だ、書籍の出版停止だ、神学部の教授職剥奪だなんて言ってるところなので・・・なのですが、やはり信徒使徒職と言う立場に立って考えた際に、いやこれはキリスト者としてきちんと自らのいだいている信仰やそれゆえの希望についてきちんと書いて理解を求める行為は大昔からやっているのですし、私も洗礼によって教会に結ばれたのですからむしろやらなければならないという結論に達しました。ただ、初めのうちはなるだけキリスト教であるとか神学と言うよりは哲学的に話していくのがよいだろうと思っていましたが、それはもうやめました。哲学としてではなく神学として書いていきます。
 私の仕事に不手際あるんなら自分で書け。ブログ書くのに苦労はいらないのだから。それこそサンパウロに平積みにされてるうちの神学部の教授よりは神学に私は貢献していると思う、自分のブログは。だって、そもそも神学なる学問領域がどんなものかすら知られてないし、そもそもうちの教授方は知らせようともしていない。ほんと頭にくる。
 ほんと、ダメなところあるんなら、口頭でもメールでも呼び出して研究室で説教たれやがれ。あと、これはカトリックの信徒の皆様に言いたいのですが、あんましイエズス会のと言うよりは神学者全体を甘やかさないでください。調子こいてろくな仕事をしやがりません。
 うんざりだほんとに、テーヤルド・シャルダン創造論や原罪論語るド阿呆とかキュングで教会論とか何のジョークだ!まともなのが居たと思えば馬鹿の一つ覚えでカール・ラーナー一本やり!ほんと、前にも書いたけどやる気ないなら荷物まとめてスペインに帰れ!と批判するのは年度が変わるまでだからね。
 年度変わってからはまた違った対応をします。ほんと、私は中高含めかれこれ10年の腐れ縁の付き合いだからきちんと言ってあげてるんだからね。私の友人方からも呆れ変えられてるからしっかりしないとほんと見捨てられるよ、あんたち。
 と、ツンデレっぷりを発揮し終えたので昨日の続きを書きます。少し休憩。

*1:作者の八木谷涼子さんのHPもお勧めです。http://yagitani.jpn.cx/kurihon/index.htm

*2:教会法典1254条~1310条で扱います。ついでに述べると教会法学部と神学部は別の学部です。