コーヒーブレーク

少しくたびれてるので(色々と雑務をこなしていたため)わき道それて雑談タイム。
時々物笑いの種として下らん宗教学者の書くものを読んだりするのですが、皆様方にはあまりに初歩的でおろかな間違いをして頂きたくないので一つ書いておくのですが、キリスト教は度々一神教であると批判を受けます。曰く独善的であると。まず、批判が妥当かは兎も角として、キリスト教一神教である以前に啓示宗教であるという点が強調されるべきです。世界史の授業で皆さん習いませんでしたか“啓典の民”と言うフレーズを。それぞれ神からの“啓示”により示された神を信じる宗教のことを意味しています。
なぜだか知らないけど、日本の宗教学者の書いたもので啓示の視点を強調してるの見たことないんだけど、よくそれで“宗教”学者だなんて恥ずかしげもなくよく名乗るよな。そのくせ、霊性だなんだと普通門外漢にはわかるはずのない(啓示に比べれば格段に理解しにくい)物事に関してはやけに詳しいご様子で・・・・オーソドックスなものから論じろよな。何かと言うと応用問題ばかりやりたがって基礎研究すっ飛ばすのは日本の学者の悪いくせだと思う。ほんと俗物秀才ばかり。
無茶苦茶特殊な事例を捻じ曲げて解釈した挙句批判されるなんてたまったものじゃない。というか、私宗教学とか宗教学者嫌い。神学者ですら霊性の研究とかまし神秘主義とかきちんと手順を踏まないとわけわかめなコトになるのに部外者のしかも哲学ろくにできないたかが人文“科学者”ごときが口を出すんじゃない。そんなにやりたかったら少なくとも形而上学きちんとやってからやれ。ほんとド阿呆である。
あと、私は霊的な事柄や神秘家が語る物事、つまりは異言なんですが、を否定はしませんが、それは解釈されないと意味をなさないものです。なので、霊性については一切ここでは(ブログでは)扱いません。神秘主義にも触れません。物好きを喜ばすだけで誤解が広がるだけならまだしも異端や誤謬を励ますことになりかねないから。理神論や西洋的な意味での汎神論に陥る恐れには憂慮しながらも理性を優先させながら書いていきます。