方法序説

第一部

つまり、各人がそれについて判断できるだけでなく、世間の評判から人びとの意見を知ること*1は自己教育の新しい手段であり、わたしが用いてきたものに加えられるからだ。

このようにわたしの目的は、自分の理性を正しく導くために従うべき万人向けの方法をここで教えることではなく、どのように自分の理性を導こうと努力したかを見せるだけなのである。教えを授けることに携る者は、教える相手よりも自分の知性がまさると見るのが当然だ。どんなに小さな点においても誤るところがあれば、その点で非難されることになる。けれども、この書は一つの話として、あるいは、一つの寓話といってもよいが、そういうものとしてだけお見せするのであり、そこには真似てよい手本とともに、従わないほうがよい例も数多くみられるだろう。そのようにお見せしてわたしが期待するのは、この書がだれにも無害で、しかも人によっては有益であり、またすべての人がわたしのこの率直さをよしとしてくれることである。

そしてこれからは、わたし自身のうちに、あるいは世界という大きな書物のうちに見つかるかもしれない学問だけを探究しようと決心し、青春の残りをつかって次のことをした。旅をし、あちこちの宮廷や軍隊を見、気質や身分の異なるさまざまな人たちと交わり、さまざまの経験を積み、運命の巡り合わせを加え、そこから何らかの利点をひきだすことだ。というのは、各人が自分に重大な関わりのあることについてなす推論で判断を誤ればたちまちその結果によって罰を受けるはずなので、文字の学問をする学者が書斎でめぐらす空疎な思弁についての推論よりも、はるかに多くの真理を見つけ出せると思われたからだ。学者の思弁は、それを真らしく見せようとすればするほど、多くの才知と技巧をこらせねばならなかったはずだから、それが常識から離れれば離れるほど、学者が手にする虚栄心の満足もそれだ大きい。それ以外には何の益ももたらさない。だがわたしは、自分の行為をはっきりと見、確信をもってこの人生を歩むために、真と偽を区別することを学びたいという、何よりも強い願望をたえず抱いていた。

*1:ギリシアの画家アペレスの故事。自分の絵のうしろに隠れて人々の率直な批判をきき、腕を磨いたという。