鎖国 和辻哲郎

 太平洋戦争の敗北によって日本民族は実に情けない姿をさらけ出した。この情勢に応じて日本民族の劣等性を力説するというようなことはわたくしの欲するところではない。有限な人間存在にあっては、どれほど優れたものにも欠点や弱所はある。その欠点の指摘は、人々が日本民族の優秀性を空虚な言葉で誇示していた時にこそ最も必要であった。今はむしろ日本民族の優秀な面に対する落ちついた認識を誘い出し、悲境にあるこの民族を少しでも力づけるべき時ではないかと思われる。
 しかし、人々がいや応なしにおのれの欠点や弱所を自覚せしめられている時に、ただその上に罵倒の言葉を投げかけるだけでなく、その欠点や弱所の深刻な反省を試み、何がわれわれに足りないのであるかを精確に把握しておくことは、この欠点を克服するためにも必須の仕事である。その欠点は一口にいえば科学的精神の欠如であろう。合理的な思索を蔑視して偏狭な狂信に動いた人々が、日本民族を現在の悲境に導き入れた。が、そういうことの起こり得た背後には、直感的に事実にのみ信頼を置き、推理力による把握を重んじないという民族の性向が控えている。推理力によって確実に認識せられ得ることに対してさえも、やってみなくてはわからないと感ずるのがこの民族の癖である。それが浅ましい狂信のはびこる温床であった。またそこから千種万様の欠点が導き出されて来たのである。
 ところでこの欠点は、一朝一夕にして成り立ったものではない。近世の初めに新しい科学が発展し始めて以来、欧米人は三百年の歳月を費やしてこの科学お精神を生活のすみずみまで浸透させて行った。しかるに日本民族は、この発展が始まった途端に国を鎖じ、その後二百五十年の間、国家の権力をもってこの近世の精神の影響を遮断した。これは非常な相違である。この二百五十年の間の科学の発展が世界史の上で未曾有のものであっただけに、この相違もまた深刻だといわなくてはならぬ。それは、この発達に成果を急激に輸入することによって、何とか補いをつけ得るというような奇妙な現象さえも起こって来たのである。(pp15-16)「序説より」 

 文化的活力は欠けていたのではない。ただ無限探究の精神、視界拡大の精神だけが、まだ目ざまなかったのである。あるいはそれが目ざめかかった途端に暗殺されたのである。精神的な意味における冒険心がここで萎縮した。キリスト教を恐れてついに国を閉じるに到ったのはこの冒険心の欠如、精神的な怯懦のゆえである。(p546)
 日本人はヨーロッパ文明にひかれてキリスト教を摂取したのであって、そこに当時の日本人の示したただ一つの視界拡大の動きがあった。その後のキリシタン迫害は、キリシタンとなった日本人の狂信的な側面のみを露出せしめることになったが、しかしそれがすべてではなかった。狂熱的傾向は当時のヨーロッパにおいても顕著であったし、わが国の一向一揆などもそれを明瞭に示しているが、しかしこの時代的特性のなかに根強く芽をふき出した合理的思考の要求こそ、近世の大きい運動を指導した根本の力である。わが国における伝統破壊の気魄は、ヨーロッパの自由思想家のそれに匹敵するものであった。だからたとい日本人の大半がキリスト教化するというごとき情勢が実現されたとしても、教会によって焚殺されたブルーノの思想や、宗教裁判にかけられたガリレイの学説を、喜んで迎え入れる日本人の数は、ヨーロッパにおいてよりも多かったであろう。そうなれば林羅山のような固陋な学者の思想が時代の指導精神として用いられる代わりに、少なくともフランシス・ベーコンやグローティウスのような人々の思想を眼中に置いた学者の思想が、日本人の新しい創造を導いて行ったであろう。日本人はそれに堪え得る能力を持っていたのである。(p547) 

 キリスト教を無制限に摂取しても、それがただ一つの運動に統一され、日本侵略の手段に用いられるなどということは、到底起こり得なかったのである。この事情は少しく冷静に観察しさえすればすぐにわかることであった。それを為し得なかったのもま為政者の精神的怯懦のゆえである。
 ただ一つの欠点のゆえに、ベーコンやデカルト以後の二百五十年の間、あるいはイギリスおピューリタンが新大陸へ渡って小さい植民地を経営し始めてからあの広い大陸を西へ西へと開拓して行ってついに太平洋岸に到達するまでの間、日本人は近世の動きから遮断されていたのである。このことの影響は国民の性格や文化のすみずみにまで後の八十年をもってしては容易に超克することはできなかったし、よい面といえども長期の孤立にもとづく著しい特殊性のゆえに、新しい時代における創造的な活力を失い去ったかのように見える。現在のわれわれはその決算表をつきつけられているのである。(p548)