傲慢さ

前のブログからそうであるけど、読んだ人に不快さを与えるの承知で書いてる。この文が謙虚さにあたるとは到底思えないし、そのつもりで書いてもいない。自分は学問的な才が人と比べてあると思ってるし、その点について大学の教員などとは時間的な差異しかなく、質的な差異は全くないとすら思っている。彼らとは対等な立場であると思っている。思索することに関して後も先もない。どうして問わず、教えようとするのかが私には全く理解できない。何かを問うことを教えるといったような欺瞞がどうして教室と言う異質な空間ではまかり通るのか理解ができない。何がわかっていないかを共有し、問うことが学問ではないの?それをするために現在の講義という形式が果たして最善なのか?

この根拠のない傲慢さと折り合いをつけるのが私の人生の課題なのかもしれないと今思った。