アウシュヴィッツの残りのもの

2-14
アウシュヴィッツは、あらゆる義務的なコミュニケーションの原理にたいする徹底的な反駁である。

回教徒は、可能なあらゆる反駁にたいする徹底的な反駁である。直接的にではなく、みずからにたいする否定を否定することによってしか証明されえないことを権威のよりどころとする、形而上学の最後のとりでの破壊である。

2-15
ここまでくれば、尊厳(dignita)の概念さえもが法律に起源をもっていたとしても意外ではない。

しかし、正真正銘の尊厳の理論を作りあげたのは、中世の法学者と教会法学者である。中世にあっては法学が神学といかに緊密にからまりあって主権論のかなめのひとつである政治権力の永続性を説こうとしていたかについては、エルンスト・カントーロヴィチによっていまや古典となった著作〔『王の二つの身体―中世政治神学研究』(一九五七年)〕のなかで明らかにされている。すなわち、神の位格がキリストのもとで人間の身体を二重化するように、行政官や皇帝の現実の身体のかたわらに並立する一種の神秘的な身体となる。この解放は、中世の法学者によって数かぎりなくくり返し説かれた原理のもとで極点に達する。その原理とは、「尊厳は死ぬことはない(dignita non moritur, Le Roi ne meurt jamais)」というものである。

尊厳という語が道徳論のなかに入ってくると、道徳は法律論のモデルを正確になぞりつつ、それを内面化しようとするにいたる。・・・いまや、この種の肉体化された形の尊厳が道徳によって精神化され、不在となった「尊厳」の地位と名を僭称するにいたる。・・・道徳は―逆の鏡面的なプロセスをとおして―個人のふるまいを職務の占有から解放する。いまや、公的な職務に就いていなくとも、どこをどう見てもそれに就いているかのようにふるまう者こそは、尊厳に満ちた者なのである。

こうして、どちらの階級も、不在の尊厳に順応せざるをえなくされているのであった。・・・今では、尊厳を失うこと、あるいは維持すること、地位ではないにしても、少なくともその外見を損なうこと、あるいは保つことを意味するようになる。
ユダヤ人は、いかなるWürde、すなわち、いかなる尊厳をも剥奪された人間なのである。ただ単に人間であり、まさにこのことのゆえに非―人間だというわけである。

2-16
尊厳が似つかわしくない場面と状況があることは、つねに知られてきた。この場面のひとつは愛である。恋する者は、けっして威厳に満ちてはいない。威厳を保ちながら恋をすることは不可能だからである。

愛と尊厳を両立させることのこの不可能性には、十分な理由がある。じっさい、法的な尊厳の場合であれ、それを道徳に置き換えたものであれ、尊厳は、その担い手の存在から独立したものである。その担い手が適合しなければならず、なんとしてでも堅持しなければならない内面的な模範(モデル)もしくは外面的な格好(イメージ)である。しかし、愛がそうであるように、極端な状況においては、現実の人格とその模範、生と規範のあいだに、わずかにでも距離を置くことはできない。というのも、この場合、生と規範のいずれが、内面と外面のいずれかがそのつど優位に立つからではなく、それらがあらゆる点で混じりあい、威厳をもった妥協の余地をもはやまったく残さないからである。(パウロが『ローマ人への手紙』のなかで愛を律法の完結と成就と定義するとき、かれはそのことを知りつくしている。)

この理由からも、アウシュヴィッツは、あらゆる尊厳の倫理の終焉と破壊、そして規範への適合の終焉と破壊を告げている。そこにおいて人間がそれに還元されてしまっている剥き出しの生は、なにものも必要とせず、ないものにも適合しない。それはそれ自体が唯一の規範なのであり、絶対的に名依存的である。・・・いかなる想像もおよばないくらいに尊厳と上品さが失われるうるということ、零落の極みにあってもなお生が営まれるということ―このことが、生き残った者たちが収容所から人間の国にもち帰る残酷な知らせである。そして、この新しい知識が、いまや、あらゆる道徳とあらゆる尊厳を判断し測定するための試金石となる。