キリスト教的教育に関する宣言  第2バチカン公会議公文書全集より

(序)

 実際、現代の情勢では青少年の教育、さらに成人の持続的な教育は、より容易に、しかも同時に緊急なものとなっている。人々は自分の品位と使命をよりよく意識し、社会生活、特に経済的・政治的生活にいっそう積極的に参加することを望んでいる。技術および学問研究の驚異的な進歩、新しいマス・コミの手段は、仕事に追われることなく、余暇を楽しむ人々に、よりたやすく精神文化の遺産に近づく機械と、諸種の団体および諸国民のいっそう密接な交流によって相互に充足し合う機会を与えている。・・・中略・・・教会は教育の進歩と振興の責任を負っているのである。したがって、聖なる教会会議は、キリスト教的教育、特に学校におけるキリスト教的教育に関して、若干の基本的原則を宣言する。この基本的原則は、公会議後の特別委員会によって詳細に解明され、司教協議会によって諸地域のそれぞれの状況に適応されなければならない。pp183-184

1(教育を受ける普遍的権利)
民族・身分・年齢の差を問わず、すべての人は尊厳な人格の所有者として、他人に譲ることのできない教育に関する権利を持っている。・・・中略・・・真の教育の目的は、人間の究極目的のため、また、成人した時に自分が一員となり、その使命達成に協力しなければならない協同体の福祉のために、人格を形成することである。・・・中略・・・聖なる教会会議は、青少年が正しい良心をもって道徳価値を評価し、それを個人の決断によって肯定し、より深く知り、愛するような励ましを受ける権利を青少年からけっして奪わないように配慮することを切望してやまない。教会のすべての子らに向っては、教育の全分野において寛大な心をもって働き、特に、教育と指導の十分な恩典が全世界のあらゆる人々に、よりすみやかに広げられるために協力するように勧告する。p184

2(キリスト教的教育)
水と聖霊から生まれることによって新しい被造物となり、神の子と呼ばれ、実際に神の子であるすべてのキリスト信者は、キリスト教的教育を受ける権利を持っている。このキリスト教的教育は、上に述べた人間の完成を追及するだけでなく、主として次のような目的を持っている。すなわち、受洗した者が徐々に救いの秘儀を認識するように導かれながら、受けた信仰のたまものを日増しに、よりよく意識するよう、特に典礼祭儀において霊と真理とをもって父である神を礼拝するよう(ヨハネ4・23参照)学ぶこと、自分の生活を正義とまことの聖徳においてつくられた新しい人に従って(エフェソ4・22〜24)形成することである。こうして、かれらはキリストの全き背丈にまで(エフェソ4・13参照)、全き人間となり、神秘体の発展に力を尽くし、さらに自分の証明を自覚し、かれらの中にある希望(1ペトロ3・15参照)のあかしをたてとともに、世のキリスト教化を援助する習慣をつけなければならない。この世のキリスト教化によって、自然的な価値も、キリストによってあがなわれた人間の全体的な考察にとり入れられて、社会全体の福祉に貢献するのである。したがって、聖なる公会議は、霊魂の司牧者に、このような真のキリスト教的教育をすべての信者、特に教会の希望である青少年が受けられうよう万事を整えるきわめて重大な責任を想起させる。