被写体と撮影者

 http://d.hatena.ne.jp/klov/20081027/1225101292

 上記のエントリを読んで少し思うところがあったので昔の没レポート原稿を引っ張り出す。なんと言うか、いちよう私も広島育ちの広島生まれの被爆三世ですが・・・と名乗るのが流行りなの?なお、広島県民はああいう馬鹿騒ぎにもまた被爆n世です的な語りもローカルのTV番組や教育その他に度々触れてるのでぶっちゃけた話慣れっこです。あー、かばちたれとるわぁ、ぐらいの認識。
 で、本論はこっち、まえがきをするとこれは昨年の永井隆関連のシンポジュームの際に提出するはずだったレポートの草稿と言うかメモが元です。

広島と言う都市空間を中心として論ずる。論点は記憶、特に記憶の想起に関してである。

1 ファインダー:爆撃照準器  撮影者:アメリ
2 ファインダー:原爆慰霊碑  撮影者:被爆
3 ファインダー:路面電車の窓 撮影者:私、ないし私たち
1,2,3の光源:原子爆弾
1,2,3の被写体:原爆ドーム

1,2,3の写真の撮影日時は皆1945年8月15日、午前8時15分である。

 1の写真の構図については説明不要である。彼らの撮影した写真そのものが原爆ドームである。上から、俯瞰図、航空写真。つまり、原爆ドームそのものとその敷地はその当時の航空写真から切り出したものと言える。周辺は開発されてしまっているし、今の平和記念公園も当時の航空写真にはない。
1:〈撮影者〉-〈光源〉-〈被写体〉
 2の写真は原爆慰霊碑と原爆ドームを結ぶ構図で撮影される。平和記念公園の設計はこの視線を意識して構成されており、この視線が度々想起されるのが夏の平和記念式典の際である。平和記念公園は極論すればカメラのファインダーである。
2:<撮影者>-<被写体>-<光源>
被爆者は被写体の向こう側に光源を置く。これは彼らの置かれた状況そのものでもある。当時、そのときも彼等は強烈な逆光に曝された。
 なお、2の写真がそうであるように1の写真も度々似たような構図で同じ撮影者により撮影され続けている。アメリカその他が核実験をする際の構図は1である。彼らも彼らでヒロシマの写真の焼き直しを定期的にしているのである。記憶の想起と言う意味合いでは1においても2においても変わることはない。批判すべき点が仮にあるとするならば写真の構図に対してである。
 ここで問題としたいのは3の写真である。3に光源はない。あるのは<被写体>と<撮影者>である。1において、撮影者は全く同じ光源を使い実際に写真を焼きなおすことで記憶を想起することができる。2においても同様に彼等は焼き付けられた写真としての原爆ドームにより、彼らの焼き付けられた記憶を想起できる。では3における我々はどうなのだ。
 光源を与えられない写真はうすぼんやりしており、なにやらはっきりしないのだ。私は実際に原爆を炸裂さすことにより実際に原爆ドーム(廃墟)を作成して記憶を想起することもできなければ、廃墟に託すべき自身の記憶も持たない。しかしながら、一つだけ手段がある。
 1の写真において想起されるのは<被写体>である原爆ドームである。実のところ原子爆弾の脅威と威力を核保有国も心得ている。彼らが想起するのはただ焼け野原とその象徴としての原爆ドームであるが。核廃絶の論点の誤りは核保有国がヒロシマの記憶を共有していないと批判する点にある。彼らも彼らで記憶は共有している。「ノーモア、ヒロシマ/ナガサキ!」すらもである。ただ構図が違うだけである。彼等は彼らの方法で記憶を想起し、またそれが世界平和につながると考えている。
 それに対して2の写真において想起されるのは<光源>である原子爆弾である。原爆ドームは影絵に過ぎない。そこで象徴されるのは炸裂した事実であり、またその影響である。被爆者が誤解されているように思うのは彼等は彼ら自身を語っているのではなく、彼らの存在そのものを変質させた現象に関してだあり存在についてではない。無論、変化を語ることにより存在自体に言は及ぶがあくまで力点が置かれるのは午前8時15分の前後の変化である。そのため被爆者の語りは、被爆以前の物語がある一時を境にいかに変化するか、また今もその変化が及んでいるかに終始する。つまり彼ら自身の一回性の体験、歴史的な体験を出発として、現時点まで及び変化、それ自体を彼等は毎年式典で想起する。故に彼らの体験は体験でしかなく、私はこの意味で被爆体験の継承を不可能なものとして退ける。残念だが我々は2の構図に立つことは出来ない。もし仮にできたとしたら我々の語りは彼ら同様に被爆した瞬間からようやく始まることとなる。2の語りは故に強度をもつ、1の語りは物理的な意味合いで強度を補強し、しかしその物語は実際に炸裂させ続けなければ物語の強度を失う程度には弱い。仮に核保有を否定してヒロシマの記憶を想起するのであれば、無論1は退けられ、2の構図は再起不可能、つまり核を『ノーモア』の限り2の構図も再現不可能と言うよりもむしろ再現を拒むべき対象となる。では我々が取りうる構図は3の構図のみとなる。
 3の構図は撮影者である我々が路面電車の窓、つまり日常というファインダーから被写体である原爆ドームを切り出す試みを意味する。1の構図もまた2の構図も日常からほど遠いものである。それらがどのようなものであったとしても。
 原爆ドームを日常性に復帰させること、これは何もひねくれて言っているわけではない。私にとっての通学と言う日常の行為の中にその被写体はあるのであって私に取っては車窓にすぎないのだ。奇妙だが、私は私の愛着のある車窓が灰燼に帰すのが許しがたいと感じる程度の想像力は持っているし、その程度の想像力に対してであれば責任を取れるし、取ってもかまわないとも感じる。
 私は残念であるが、草の根一本として残さない1の写真には好感も愛着もそして同時に想像力ですら取っ掛かりが見出せない。と、同時に私は自らの経験として2の構図も採用することができないと感じる。残念ながら被爆者の写真は被爆者の写真であり、私はこの写真をも想像力の外に置かざる得ない。
 つまり、私は特別なものとして「原爆ドーム」を保持する理由付けを欠いている。私が生まれたときから風景として肋骨をさらした廃墟はあるのであって、私にとってその被写体は日常の風景である。
 私は無理強いして原爆ドームを特別な風景として切り出し訴える方法に以前よりそして今でも疑問を感じる。唯もし最良の方法があるとするならば日常であるが、変わらないもの不同なものとしての被写体があり続けることを望むことからそして何気ない日常と言うつまらない写真の積み重ねによって強度を増やすことである。
===============
なんつうかメモだけあって酷いな。去年はアガンベンの勉強会ドップリだったので記憶の想起と場所に関してだらだら考えてた。どうでもよいけど、日常性は大事であると思う。それは象徴の剥奪ではなくて象徴を日常に置き続けるという意味で・・・なんと言うか変な喩えなのだけど、ミサであるとか祈りをどれだけ日常において想起しうるのかというのは哲学やら何やらではなくて、これはこれで大事な神学的な問いにもなると思う。いい加減なのだけど時事性優先。でも眠いので今日はホットワイン飲んだら寝る。