Think

教育者の自戒

自分がやられていやだったことは他人にするな、は鉄則であるとは思うのだけど(黄金律とはほど遠いけれど) ものを教えたがるないし、教えるとき『〜を教える』という態度をとりがちであるけど本来は『〜で教える』が正しい方法であると思う。ただこの方法に…

社会問題について

貧困に関して 他人からはそう見えないでしょうが社会派のつもりです。でも、自由主義神学なる傾向は死ぬほど嫌い。これも一昨年の暮れに渋谷でやっていた野宿者の炊き出しの手伝い(ただ大した手伝いができたとは思わない)に行ってきた。 何をしたかという…

プロテスタントについて

一昨年の暮れ、ようするに私が大学一年生だったころに、中国のキリスト教についての講演会がありそれに出席した。 原典現代中国キリスト教資料集―プロテスタント教会と中国政府の重要文献1950ー2作者: 富坂キリスト教センター出版社/メーカー: 新教出版社発…

メモ

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メモ

岩下壮一 田中耕太郎 内村鑑三 天野貞祐 南原繁 矢内原忠雄

酔っ払いの戯言

白湯を飲んで酔いを醒まさねば。というか明日の主日のミサ多分朝のは出れない。図書館行くついでにイグナチオのミサに与るか(これも現状では怪しい。飲みすぎ)。というか久々に酔ってる。あはは。 というかですね、私立の教育理念だとかを話す人がですね、…

フランシス・スアレスについて

id:contractioさんが「わたし、スアレスの研究書って これ↑一冊しか持ってないんですが、その後 邦語文献は出てないんでしょうかね。>識者」(http://d.hatena.ne.jp/contractio/20090217)と嘆いておられるので識者じゃないけど答えてみる。 研究書として公…

道化であり続けること

これはこれで大変である。

話しかた・書き方

批判、非難を一切口にしなければよいのでしょう。ただただ淡々と述べるのみ。論争的に振舞わない。

愚痴

カテゴリー2の人向けに散々書いて見ようとしたけど、やっぱしコストパフォーマンスが悪いorz

続き

昨日書いた「カトリックに於ける人間理解」の続きは少し後に書きます。これはあくまで一般の人に向けて書こうと思っていたのですが、羊が耳元でメー♪メー♪うるさく鳴くのでそちら向けに切り替えて別のことを書きます。もうね、ほんと勘弁してくれ。

自然と人工

小学生の頃中学受験の国語の問題である言葉の対義語を答えるといったものがあった。自然の対義語は人工であり、人工の対義語は自然である。このごくあたり前の言葉の対比がわれわれの困惑と混同の第一の原因である。人間は自然ではないということである。 神…

結局のところ人間の問題

さて、マリタンのに関しての議論を引きながら、彼の根柢にあるトマス・アクィナスそしてアリストテレスの人間観に直面しました。その違いに対して違和感を表明したうえで、それに対しただ西洋の理性中心的な人間観と無碍に切り捨てるのではなくじっくりと検…

prayとplay 祈りと遊び

祈りと遊びに共通するのは暇であり、ゆとりである。

答え合わせ

ただ単に先行研究を把握していないという不勉強ゆえであるが、あるテキストを読んでそれをある程度の方向性を持った一つの理解とした後で、同様に同じテキストを論じている人の理解を突き合わせてみるのは面白い。ただ、レポートを出してしまった後に私一人…

雑記

疲れているし、エントリーを書くために頭を動かしてないので文字通り徒然に書く。 最近周りでラッチンガーの『ナザレのイエス』が翻訳で出たので買って読もうと思うという話を度々聞く。私は以前にドイツ語版と同時に出た英訳を読んでしまったのでどうしよう…

実に笑える笑えない話

さて、毎度、毎度飽きもせずこうしてタイプをよくするものだと人から呆れられるであろう。私もそのように思う。まして書いてる内容が神学や信仰だと浮世離れしていることなのでなおさらである。傍から見なくてもおかしな状況である。信じるまでは私も同様こ…

学統と言う問題

学統と言う語があたるかは幾分疑問に思うところだが、ある先生の下で学んでそれを批判的であれ肯定的であれ引き継いで学問を進めて行くというのは世の東西、古今関係なしにある。現在明治から現代までカトリックを主たるものにしているがキリスト教の影響を…

否定神学と言う身振り

神学なる語を目にするときには必ずと言ってよいほど“否定”と冠してある。ご苦労なことである。誤解を招かないために言葉を正確に使うのは基本的な事柄であるからそれはかまわないのだけれど、そもそもこの『否定神学』なる語を使う人々はきちんと言葉の意味…

知性論とその展開としての大学論

霊魂について―アリストテレス『霊魂論』を中心として―

さて、天使的博士(トマス・アクィナス)に言及するということはアリストテレスに言及するのとほぼ同義であると解してかまわないでしょう。無論、トマスの思索とアリストテレスの思索とは全く分けてそれぞれ考察されるべき代物ではありますが、そのどちらに…

ポストモダンに於ける普遍性について

『カトリック教会の教え』序より 現代人として、また不確実性の時代であるポストモダンを生きる人々にとって、価値観の多様化と個人主義の蔓延、さらには個々人の生活の孤立化の中、充実した理解と見通しをもって信仰を生きるためには、かなり綿密な教理の学…

雑記

上記のことにも通ずるし、以前にも記した気がしますが、40年近く前の公会議はやはり私からしたら歴史であるし、その意味では当時渦中にいた人たちの熱気であるとか含めで外から眺めることができるのかもしれない。でも、40数年前の教会もキリシタンの教会も…

神学の中心は?

半ばどうでもよいことだけどもメモしておく。神学の扱う中心領域は何かと問われたときどのように答えるか。それぞれの神学者に聞けば答えはどうであれ自分の研究領域だと思うことだろうけれど(そう思っていただかないと個人的には困るが)やはり典礼に関し…

メモ

生殖補助医療はどこまで許されるのか http://www.tkfd.or.jp/event/detail.php?id=113申し込みはしているけど今回も行けるか微妙。前回の今道先生の講演会も急にバイト入っていけなかったし。はぁ。とりあえずうちの大学の生命倫理研究所が何をやっているの…

結局のところ

愚痴である。えらそうなことを書いておきながら、ですが上のエントリは何度かに分けて書きます。大筋としてはケーベルが明治34年に帝大生向けに述べた「神学及中古哲学研究の必要」から初めて岩下壮一の「中世哲学思想史研究」を主に扱いながら所謂京都学派…

文化の秋に寄せて 筑波批評社の健闘を祈って

さて、例によって体調グダグダに悪く。土壇場で心身の弱さを晒してしまっていますが、風邪でありません。私はお馬鹿なので鳥インフルエンザだろうと罹ることはないと思います。でも多くの人に心配をかけてしまったようでほんとに反省です。さて、私がベッド…

シンポジウム 

通常は基調講演、パネルディスカッションで構成される。基調講演はどうでもよくて、問題はパネルディスカッションである。 テーマ パネラーの選定 事前の打ち合わせ、ミーティング テーマはよいとして、パネラーはテーマに対して異なった観点、考察、意見を…

話になる/ならない

いくらか手厳しい批判を某所で受けましたが、その点については後ほどまとまった言及をします。にしても、批判であっても単なる好奇心からであってもレスポンスが良い相手と交流するのは非常に楽しいし何より楽(らく)である。

被写体と撮影者

http://d.hatena.ne.jp/klov/20081027/1225101292 上記のエントリを読んで少し思うところがあったので昔の没レポート原稿を引っ張り出す。なんと言うか、いちよう私も広島育ちの広島生まれの被爆三世ですが・・・と名乗るのが流行りなの?なお、広島県民はあ…