トマス・アクィナス『神学大全〜序言〜』
公教的真理の教授の位置にある者は、学の進んだひとびとを教える務めを有するにとどまらない。さらに初学者たちを教導することまた、その任務に属している
いま、この著作における我々の意図するところのねらいも、キリスト教Christiana religioに属する諸般のことがらを、まさしく初学者たちの教導に適応するところに従って伝えるにある。
けだし我々は、この教えの入門者たちが、さまざまなひとびとの手に成るこれまでの諸著作において、非常な障害を被っていることに注目せざるをえなかった
一つには、こうした諸著作における無益な問題・項・論議の重積のゆえ
さらに一つには、こうしたひとびとの必ず知っておくべきことがらが学問の秩序に従って伝えられず、却って諸書の解説の仕事の要求するがままに、或いは討論の機会の到来するがままに与えられて来たからで
いま一つにはまた、その際同じことがらの頻繁な反覆が読者の心のうちに倦怠と混乱とを生むを常とするから
我々は、それゆえ、これらの乃至はこれに類する欠落を避ける工夫に努めたい。そして聖教sacra doctrinaに属する諸般のことがらを題材の許すかぎりの簡潔かつ明晰な仕方で以って追求するという仕事を、神助に信頼しつつ試みたいと思う。
註
遅くなりましたが、のんびりとトマスの『神学大全』を読んでいきます。
まず序においてトマスは公教的真理の教授を行なうものには初学者の教導も含まれるとします。
次いで本書つまり『神学大全』の目的もキリスト教、当然ここでトマスが意図するのはカトリックのことですが(西方教会とするほうがより正確かもしれません)に属する事柄を初学者に伝えることにあるとします。要するに『神学大全』は「キリスト教入門」とも呼ぶべき書物を意図して記されたということです。
さらにトマスは初学者が被る諸々の書籍の欠点と不足を簡潔さと明晰さによって克服する意図で本書を記していくとしています。
適応 序
現代においてトマスと同様の試みを行なうにはまずは何をしなければならないであろうか?