ホッブズ研究序説

…ロックとフィルマーが問題にした権力の起源、政治的服従、法と制度観をめぐる焦点は…ジョン・ボダン、フランシスコ・スアレスフーゴグロチウスなどに提起され深められてきたテーマであり…(p.300)
革命という力と理念の対決の時代に、王党も議会派も、その伝統的「法と制度観」に依拠した合法的、つまり制度の枠の中で闘うという従来の論争の形式を捨てて、前者が、聖書と神法・自然法に訴えて、むきだしの「神権説」と「ノン・レジスタンス」の理論を前面に押しだし、後者が、人間の本性・理性・自然権の名による「社会契約論」と「抵抗権」理論を真向から対置させるようになったのは、まさにそのためだったのである。(p.318) 
フィルマーが、『パトリアーカ』において、主要な問題関心を・・・政治学の根本問題である「政治権力の起源」あるいは「政治権力の基礎」そのものを問うことによって、イングランドにおいては、「誰が主権者であるか」という問題を一挙に解決しようとした方法は・・・(p.318)
 かれの主著『パトリアーカ』が・・・王党側の最も強力な理論的武器として援用されたのは、かかる「社会契約論」の論理構成に対する真の対抗物としての性格の故にであった、と考えられる。(p.319)
イングランドでは、近代ブルジョワジーの政治理論としての「社会契約論」は、イギリス革命期に真の意味で形成された。「人間は生来、自由・平等である、あらゆる国家や政府の権力の基礎は、かかる人間の同意にもとづく、したがって暴政や悪政に対する人民の抵抗は是認される」という近代政治理論の原型は、名誉革命の子ジョン・ロックによって大成された。(p.320)
近代主権理論は、各国の絶対君主と、カトリックプロテスタントなどの宗教諸派との闘争のなかでまずはぐくまれた、といわれるのはその意味で正しい。(p.320)
…国王と議会が、「主権の所在」をめぐって、武力闘争にまで発展した革命期に、ブルジョアジーや議会派の側から、はじめて真に世俗的・近代的な「社会契約論」が提起されてくるのである。(p.321)
人間の自然的自由、人間の自由・平等という考えは、ストア的自然法キリスト教の結合によって、西欧世界に導入された。奴隷の存在を自然的なものとみなした古代ギリシァにおいては、全人類の自由・平等という理念は、真の意味では生まれるでる条件はなかった。(p.321)
…封建国家から近代国家への移行にさいして、その主導の下に国内統一をはかろうとし、そのために国王主権論の理論的構築に着手した絶対君主たちにとって、これらジェズイットとカルヴァン主義者の二つの教義は、−両派の主張はその内容において相互に激しく対立しあうものであったが−、当面する最大の敵対する理論だったのである。(p.322)
フィルマーが、革命前夜の危機的状況において、なによりもまず、ジェズイットとカルヴァン主義の教義に攻撃の焦点を合わせて両面批判を行い、さらに従来の王党理論の不十分さを克服して、徹底した国王主権理論の構築を目指したのは、まさにそのためであった。(p.322)
…ジェズイットに対する恐怖は、むしろその国際的連帯性とその影響力とにあったといってよい。(p.327)
…ジェズイットの神学者たちが展開した政治理論そのものが、異教徒の君主=プロテスタントの君主に対する抵抗や王権の制限をとく限り、それは、かれらの意図を超えて、一般的にいって、すべての国王に反対する理論的根拠を与えることになったのである。このことは、王権の擁護者あるいはナショナリストたちにとっては、ゆゆしき問題と考えられた。(p.327)