言葉の問題

 

初めにことばがあった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった。このことばは、初めに神と共にあった。万物はことばによって成った。成ったもので、ことばによらずに成ったものは何ひとつなかった。ことばの内に命があった。
 ことばは世にあった。世はことばによって成ったが、世はことばを認めなかった。ことばは、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。 ヨハネによる福音書 一章

 厄介なことに、現代の科学的な世界認識の「真理」は、たしかにそれを数式で証明し、技術的には立証できるのだが、もはや普通の言葉や思想の形で表現できない。これらの「真理」を概念的に理路整然と語ろうとすると途端、その結果出てくる言葉は「おそらく『三角形の円』というほど無意味なものでないにしろ、『翼のあるライオン』という言葉よりもっと無意味」であろう(エルヴィン・シュレジンガー)。
 科学によって作りだされた状況は大きな政治的意味をもっている。言論の問題が係わっている場合にはいつでも、問題は本性上、政治的となるからである。というのも言論こそ人間を政治的存在にする当のものだから。私たちの文化的態度を現段階の科学的成果に適応させなくてはならないという忠告がいつも繰り返される。しかしこの忠告に従うなら、私たちは言論がもはや意味をもたないような生活様式を極めて熱心に取り入れることになるだろう。なぜなら、今日、科学は数学的シンボルの「言語」を取り入れざるをえなくなっているが、この「言語」はもともとは語られる言葉の省略記号として意味をもっていたもの、今では言論にけっして翻訳し直すことのできない記述を内容としているからである。 ハンナ・アレント『人間の条件』

 明治初期以来、日本の理科教育・科学教育は、西洋の科学と西洋の科学技術に追いつくことを主目的として行なわれてきた歓がある。そして、追いつくための専門家を養成するための基礎としてそれが大いに役立ってきたことは確かである。しかし、科学理解へのこのようなアプローチは、科学を専門としないのみならず、追いつくだけではすませたくない専門家にとっても決して満足のいくものとはありえないであろう。
 一般知識人にとって、また、追いつく以上のことを目指す専門家にとって、ぜひとも必要な科学理解へのアプローチは、何よりもまず、科学とは人間のどのような知的営みなのかということを明らかにし、それを体得できるようにするものでなければならない。このためには、出来上がった科学の知識体系を直接的に習得・理解しようとするよりも、現に科学が創り出されつつある状況の中に身を置くことによって、それも、高度に専門化している最近の科学の状況の中にではなく、事がらがもっと単純平明であった過去の代表的な歴史的状況の中に身を置いて過去の貴重な知的営為をいわば追体験することによって、科学とはどのような人間の営みであるのかを体得するというのが、最善の方法と言えるのではあるまいか。
 本書はもともと、そのような意図のもとに書き上げられた科学史である。しかも、単に科学だけではなく、さらに広く思想・文化・社会・価値体系等との関連において科学という人間の知的営みを理解することに努めているので、本書はまさに、その書名のとおりに、「文化としての近代科学」を「歴史的・学際的視点から」とらえ直すことを目途した新しい試みなのである。
 …近年中に新しく高校の科目に加えられる「理科基礎」の中の「科学史」が望ましい教育的成果をあげるためにも、右記のような特質をもつ本書が何らかのユニークな寄与をなしうるならばとは、筆者の切に願うところである。 渡辺正雄 『文化としての近代科学』

 これから皆さんにロウソクのお話をいたそうと思います。この題目はもうだいぶ前に選んだものですから、勝手にこの演題に決めていいのなら私は毎年々々喜んでロウソクのお話をするかも知れません。と申しますのは、これはたいへん興味のあるものですし、またそこから出発して驚くほど多種多様な自然の研究に導かれるからです。いろいろのものを支配している法則のうちロウソクの話のなかへ出てこないものは一つもありません。そこで、物理学の勉強をはじめるにはロウソクの物理的現象を研究するのが最も良い、最も便利な戸口です。ですから、私が何かもっと新しい題目を選ばずにこういうものを取上げても諸君を失望させることはないと思います。新しいのでいい問題もあるでしょうが、ロウソクほどいいものはないでしょう。
 次におことわりしておきたいことは、われわれはこの問題をまjめに学問的に取扱おうとするとはいえ、決しておとなを主眼とするのではなく、私は一人の青年として若い人達に物語る特権をもつということです。私はこれまでこのような講演においてそうしてきたとおり、今度もそうしようと思います。また、ここでお話いたしますのはこの場かぎりでなく広く世間へ公表することだと承知いたしましても、私は今までとおりのくつろいだ調子であなたがたにお話することを避けないでありましょう。 ファラデー 『ロウソクの科学』