自分用だらだらメモ

 
 わたしは間違いなく頭の鈍い子、というか一回何かに自分の思考が煩わされると、そのこと自分が飽きるまでずっと止まって考え込んじゃう。この悪い癖が遺憾なく発揮されたのが、英語と数学。英語の単数形と複数形が何故存在するのか、冠詞の存在につまって、何でだって英語の教師相手に泣きながらわめいたことがある。数学も同じ、負の数への拡張が理解できなくて、どうしてマイナスとマイナスの積がプラスになるのか、わけわかめで躓く。
 さらに今でもそうだけど規律型訓練が死ぬほど嫌いで嫌いで、もうほんとイヤ。中学一年、一学期の英語で赤点、数学の代数で赤点をとり、三者面談だし。あまりに数学と英語がひどいから、ほんと勉強つらかった。正直あんなものクソ真面目にやってる同級生は馬鹿だと思ってたし、今でも馬鹿だと思ってる。でも、ものを考えるのと本を読むのあと理科の実験はほんと好きだった。なので、国語や社会、理科の成績はそこそこだった。
 中学二年生のころはほんとつらかった。中二病の典型といえば典型だけど。学校なかなかいけなかったし、親はなかなかわかってくれないと不愉快だったし、吐いたり、眠れなかったりさんざんだった。当時はほんと卑屈だったし、物事にチャレンジする気概なんてなかった。色々怖かったし。学校やめたいと思ってたけど、それも怖くてできなかった。
 前にも少し書いたけど、中学のときの国語の先生に救われた。先生変な人で一部の生徒と保護者の受けは最悪だったけど、わたしは素敵な先生だと思う。映画のシナリオに関して授業したり、絵本作ったり、ディベートしたり、あと授業の度に小レポートを書いたりした。
 一度その先生の国語の期末試験で、大問が二つあった。一つは記述式の普通の現代国語の問題、でもう一つが課題に関して自由論述と今学期の授業内容に関して自由に述べるもの。自由課題を解答用紙の裏面までびっしり書いて、普通の問題白紙で提出した。どんな内容に関して書いたかは覚えてないけど、その行為自体、書いた内容含め中二病まんまだった。それが抵抗になると思ってやっていたのだからあの当時からじゃじゃ馬だったのだけど、その先生はあとで、熱心に面白いこと君は書けるのだから自信をもっともう少し普通のつまらない問題もおやりなさいと、笑いながら言ってくれた。ディベートも大好きだった。理詰めで相手の意見をばらしたときなど心躍る。これも今でも変わらない。
 あともう一つ良かったのが、授業外の聖書研究会で活動できたこと。初めは好きだった社会科の先生に誘われたから参加したのだけど、結局在学中の6年間ずっと続いた。社会科の先生には中学二年までで、残りの長い時間、化学を教えてる神父様に面倒を見てもらった。しかもその頃は、初め一緒に参加してた友達も部活で忙しいからとかで結局、わたしと神父様の二人で毎週やってた。 
 研究会では、聖書読んで色々と話したり、あと釜ヶ崎であるとかの野宿者のこと、らい病についてとかもした。あと折りにつけて、科学哲学や科学史に関しても話題になった。私がカトリックの信仰をもつようになったのは卒業したあと大学受験に失敗して浪人してたころのこと。
 当時から、キリスト教が国際理解にとって必要なことという意識はあったし、そのことも研究会を続ける原動力になってた。この視点自体は初めに誘ってくれた社会科の先生が言ってくれたから、当時の私は何も疑わずにそう思ってた。
 で、だんだんその重要性が自覚的に理解できてきたのが、中三ぐらいのころ。中学三年生の歴史の授業で中学の卒業論文を書けとか課題が出た。今思えば笑えるんだけど、文献表の作り方、図書カードの作成法、文章の構成法、あと中間報告を提出して、夏休み中に最終稿を提出するというものだった。
 私が、中間報告で課題にしたのが、宗教改革と近代の関係性について〜ルターの思想とザビエル〜だったかな?確か。今でも全然無理なでかすぎる過大なわけだけどwよりにもよってその課題を夏休み中に変更するという暴挙に出て、最終的に選んだのが、各国の歴史教科書に見る太平洋戦争だった。当時小林よしのりが活発だったころで、もろにその影響です。今思えば本気で恥ずかしい。
 で、その論文は実は未完です。歴史の教師にクリスマスの頃までせっつかれたけど、いい加減のものは出せないとか突っぱねつづけ、実を言うと九月の頃までは出さないといけないと頑張っていたのだけどそれ以降はただ飽きたから、面倒くさい、が理由です。ごめんなさいほんと。
 でも、ナショナリズムや日本の近代化の過程での問題や歴史と表現の問題意識は今でも継続して持ってる。前者は自然法公法学の問題として考えてるし、後者はアガンベンの『アウシュヴィッツの残りのもの』を読みながら勉強会で継続して思案しているところ。
 でぐらぐら考えていたら、2001年の事件が起こった。当時の私は宗教とか邪魔なもの、誤謬に満ちたものだと考えてたし、宗教がらみで戦争が絶えないのを見て、それがなぜかと疑問に感じ始めたのもこのころ。当時の私はナイーブに日本人はイスラムキリスト教双方から中立な立場で国際社会で振舞えると考えてた。今のわたしからしたら失笑物な考え方。
 なぜ失笑ものかは長くなるのでここでは割愛。まあともかく、敵を知らねば始まらない的な考えで聖書の勉強も続いてた。でもどこかで偽善的であるとか色々と引っかかるところがたくさんあって、もにょもにょはしてたけど。で、このころ読み始めたのがロックの『市民政府論』私が初めて読み終えた古典がこれ。これを読んで感じたのが、民主主義であるとかにねっとりキリスト教的なものが関連していること。でも、当時の私はここからキリスト教的なものをいかに抜き取り、日本的なものと問題なく合せるのかが主たる問題意識だった。なので丸山や大塚的な考え。でも、当時の私は一冊たりと丸山や大塚の書いたものは読んだことない。前に書いた国語の教師とか歴史、社会の教師とかからもしかしたら間接的に影響受けてるかもしれないけど。わたしこの人たち知ったのはごく最近、浪人してる頃。
 だから口は悪いのだけど、色々な知識人たち、特に明治期、戦後すぐが、キリスト教的なものをあえて無視して、ないしはキリスト教的なものを日本的なしかも偽物に置き換えようとの知的な試みをしてるけど、所詮わたしが中学のころにやったお茶目な試みにすぎないわけで、これを失笑に値するとは言わないけれど、とても悲しい試みだとは言うことができる。
 この中学の私が試みたお茶目な試みは、漱石が『文明論集』の中で述べている矛盾そのもので、近代人に特有の神経衰弱の原因となってるもの。私は、信仰と理性の調和という問題意識でこの問いと病根に対して処方箋がかけると思ってる。昨今話題の自分探しや、マッチョ問題、自己決定、自由意志の問題の底もここにある。
 この問題に対しての回答?を決定的に自分のものにする契機であるカトリックへの入信だけど、このことについてはいまだにどう書いていいかわかんない。もうただ、直感、啓示、神のお導きとしか書くしかしかたないので飛ばす。
 でもまぁ、高校の一年は真面目に勉強して少し成績が上向いたのに、高2のときに文化祭でお茶目に頑張り燃え尽きたり、修学旅行ではっするし、高3で受験勉強はいるも、もうねぐずぐず。模試の偏差値はそこそこと言えばそこそこだけど、得意の現国や歴史でどうにかなるわけもなく。英語と数学で撃沈だと大学入試はどうにもなりません。それでも何とかなると思ってセンターリサーチ無視で第一志望突っ込んで死亡でした。うん、親にもきつく言われたし色々凹んだ。
 挙句一浪するときにまた我を張って、自宅浪人しました。他人様から見たら阿呆です。自分としても阿呆だと思います。でも、きちんと数学、英語を中学の教科書からやり直したいと思ったのでこっち選んだ。あと自分をきちんと律しないとほんとにダメだと思ったから、だだこねた。ほんと両親には今もだけど心配かけてる。ごめんなさい。これも結果としては受験ダメだった。ここで反省点を書くのもあれだけど、最後の詰め過去問の演習とか傾向と対策がきちんと手が回せなかったのが敗因。
 で、浪人の間、毎週日曜には教会行って、神父様とおしゃべりしてた。あと、友人がとても心配してくれてわざわざ受験前に手紙とお守り贈ってくれて本気でないた。その友達と長崎から帰ったら少し遊べるので楽しみ。
 そんなこんなで二浪、さすがに親に泣かれたし自分の不甲斐なさもわかったので予備校に通う。二回目の模試までは真面目に通う。
 ブログ本格的に書くようになったのも二浪のとき。で、大学教員のブログ読んだりしてるうちにやっぱり、今の受験とかそういうのに合わないのが分かってくる。一浪の後半ぐらいから熱心に読んでたのがmasa_the_manの地政学を英国で学ぶ。たまにコメントすると丁寧に相手をしてくれて嬉しかったし、書かれてる内容もすごく参考になった。自分のやりたい安全保障論や地政学の勉強をしたければやはり本場のアメリカやイギリス行かないといけないのがわかったし、そのためには英語、しかもきちんと論理的な思考をして、その内容を相手に伝えることができなければダメだということがわかったし、アメリカはともかくイギリスで勉強しようと思ったら、聖書や古典哲学、文学の知識がやはり必要なこともわかった。で、身近にオックスフォード帰りの神父がいたので色々と相談にのってもらえたし、理系の大学教授の伯父さんとかとも話して、教養のために4年日本の大学で色々してから、留学その他身の振り方を最終的に決めることにした。
 なので、国際政治や安全保障論の勉強を本格的にやるのは後にして、まず人文学することにした。初めは哲学考えたけど、どうせなら神学を専攻しようと考えた。どの道哲学もきちんとやらないといけないから一緒にできるし、自分の信仰を確かなものにできると考えたから。色々候補はありはしたけど、カトリックの神学勉強できるところはそもそも少なかった上に、サブメジャーで国際関係副専攻もあり安全保障論も勉強できるので上智にした。
 今の大学入って間違いなかったと思ってるし、浪人してよかったとも思ってる。現役で大学合格してたら信仰持たなかったし、二浪してなかったら神学勉強してないもの。
 大学入って色々不満はたくさん出てきた。だから色々ブログやtwitterでも愚痴ったし、多分今後も愚痴るけど。神父や伯父さんやいろんな人から大学では自分で動いて行くものと大学入る前から言われていたのはプラスになった。勉強会には出るし、折に触れて色んな人と知的な話をする機会も得れた。
 今もそうだし前もそうだけど色々へまをするし、基本私は鈍いしトロイ、色んな人に迷惑とそれ以上の心配をかけるけど、webの上でもリアルでも知的な面でのアウトプットを増やしていこうと思う。
 というわけで、また長崎にでも今回は日韓の交流会とは多分また違った発見があるだろうし、行ってきます。
 
今期の課題

  • twitter人文科学部でまとまったアウトプットをすること
  • アイルランド紛争に関してのサーベーを継続する
  • アガンベンの勉強会
  • 典礼の勉強と奉仕
  • ヨンパルト先生のところに行って自然法に関しての個人レッスンを受けること
  • 論理学の演習(今のところ一人ぼっち)
  • ラテン語アラビア語の習得
  • 科学哲学に関して哲学科のホワイトヘッド研究科にアポをとってみる
  • ミッションスクール、宗教科の教材に関しての蓄積をする(勉強会やwebでのエントリをまとめる)

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