メモ 私学教育に関して

 田中耕太郎の思想と‘旧’教育基本法との関連
 田中耕太郎の思想の背景に関して 〜人格論と自然法
 宗教教育と私学教育の独自性に関して
 
メモ資料

 私立学校法

 学校教育法

 文科省教育基本法資料室

なお、田中耕太郎の思想史、経歴概要は、『近代日本のカトリシズム』を資料として用いる。田中が参照した、マリタンの教育論は『岐路に立つ教育』を用いる。自然法思想、人格論についてはトマス『神学大全』を適宜参照しながら議論を進める。

  J.S.ミル『自由論』より引用 

国家教育(State education)に対して、充分な理由を備えて主張される反対論は、国家による教育の強制に対してはあてはまらないが、国家自らの手による教育指導に対しては正にその通りである。両者は全然別の事柄である。国民の教育の全部または大部分が、国家の手に委ねられることを非難する点では、私は何びとにも譲らないものである。個性のある性格や、多種多様な意見と行為の形成の重要なことについて、これまでに述べたすべてのことは、多種多様な教育もまた、これと同じく言語に絶する重要さをもつものであることを意味している。一律的な国家教育は、国民を鋳型に入れて完全に相等しいものにしようとする仕組みであるに過ぎない。そして、国家教育が国民をその中に流しこむ鋳型は、時の政府を支配する勢力が君主であるか、僧侶であるか、貴族であるか、あるいは現在の世代の多数者であるかを問わず、その支配勢力の喜ぶようなものであって、かような国家教育が効率がよく成功すればするほど、ますますそれは精神に対する専制君主を確立し、また自然の傾向として、肉体に対する専制政治をも生み出すようになってゆくのである。国家が創設しまた統制する教育は、もしもそれが存在するとすれば、競争しあう多数の実験の中の一つとしてのみ存在すべきであり、また、他の諸々の実験を或る水準の優秀さに達しさせておくための模範と刺戟とを与える目的で、実施されなくてはならないのである。もちろん、社会一般が非常におくれていて、政府がその任務を引き受けないならば、適当な教育施設を自ら提供することができないとか、あるいはそれを欲しないという場合には、そのときにはむろん、政府は、二つの大きな害悪の中の比較的小さなものとして、諸々の学校と大学の経営を引き受けてもよいであろう。このことは、大規模な生産事業を企てるのに適した形態の私企業が国内に存在しない場合に、政府が株式会社の経営を引き受けてもよいのと同様である。しかし、一般には、もしも国内に、政府主催の下に教育を与えうるだけの資格を備えた人物がそれほど多数に存在しているのならば、その同じ人々が、同様によい教育を自発的原理にもとづいて与えることができるであろうし、また喜んで与えようとするはずである。但し、教育を義務的なものとする法律によって教師たちに対する報酬が保証せられ、それと結んで、学費を支弁できない人々に対する国家の補助のあることが必要である。『自由論』岩波文庫 pp211-213

ジャック・マリタン『岐路に立つ教育』

 訳者(荒木慎一郎)まえがきより 

 第三に指摘しておきたいのは、マリタンと教育基本法との関係である。教育基本法はその第一条(教育目的)で、「教育は人格の完成をめざ」すと規定している。(原文ママ)この「人格の完成」という文言は、田中耕太郎文部大臣の発案と構想によって作成された教育基本法要綱案の「教育は真理の探究と人格の完成を目的」とする、という規定を引き継ぐものである。田中耕太郎は文部大臣在任当時、東京帝国大学助教授であった吉満義彦を通してマリタンと親交があった。また自ら認めるように、岩下壮一神父の著作を通してマリタンの哲学的影響を強く受けており、その人格概念もマリタンの影響が大きいと考えられる。
 その根拠として、田中が大臣在任当時、人格と個性という概念を意識的に区別して用いていたという事実が挙げられる。この二つの概念は本書でも論じられているマリタンの人格性と個別性の概念と類似している。田中は、マリタンの『三人の改革者』を岩下壮一が訳したもの(邦訳名『近代思想の先駆者』)を通して、マリタンの人格性と個別性の区別をすでに知っており、その影響を受けたものと推定される。
 文部大臣就任後も、田中はマリタンの人格論に大きな関心を寄せており、自らの蔵書であるマリタンの『人格と共同善』の中の、人格性と個別性の概念が説明されている箇所に鉛筆で書き込みを行なうなど、精読の跡が窺える。また1961年出版の『教育基本法の理論』においても、田中は人格と個性の区別に基づいて「人格の完成」の解釈を試みているが、とくに個性の概念を物質性を基盤に説明しようとする点に、マリタンの影響を明白に見て取ることができる。
 右に述べたように、田中は「真理の探究と人格の完成」を教育目的として構想したとき、マリタンの人格論の影響を受けていたものと考えられる。その後も田中はマリタンの人格論に関する理解を深め、それに基づいて教育基本法第一条の解釈を試みていた。したがって、本書を通してマリタンの教育論を知ることは、戦後教育制度の根幹をなす教育基本法の立法者意志を知ることにもつながるのである。*引用者註:引用文中の教育基本法は、旧教育基本法である