シンポジウム 

通常は基調講演、パネルディスカッションで構成される。基調講演はどうでもよくて、問題はパネルディスカッションである。

  1. テーマ
  2. パネラーの選定
  3. 事前の打ち合わせ、ミーティング

 テーマはよいとして、パネラーはテーマに対して異なった観点、考察、意見を持つ人物にしなければならない。パネリストの人数は3〜5名、私はコーディネーター(司会)なので頭数には入れることができない。
 コーディネータが初めに概要とテーマを投げる。パネラーに持ち時間を割り振り話をしてもらう。次いで意見交換、会場からの意見を求める。
 テーマはある程度の時事性を持たなければならないが、局地的であってはならないし、あまりに具体的でもならない。大枠のテーマとして『others』としたのであるから大筋では「他者/隣人」「公共性」を補足しながらの議論を求めたい。
 基調講演を誰か教員なりに話をしてもらうことを考えてもよいかも知れないが、学生が主体と言う初期の案に反する恐れがある。めんどくさいし、時間の無駄なので脚下。

 パネラーは個別の事前アポで事前のミーティングに少なくとも一度は参加できる人物から3〜5名選定する。聴衆の募集に関してだがどの範囲を想定するか、あらためて考慮する必要がある。

  1. 時事性を持った議題の設定

 

  • 骨格と大枠

 議題は大まかにはハーバーマス/ラッチンガー(ベネディクト16世)の公共性に関しての議論を下敷きに提題をする。主催者側はラティンガーの立場に立つものである。なお公共性論には様々な立場があると思うが、ロールズリベラリズム)から西欧マルクス主義(ラディカリズム)までであればコーディネーターの視野内に収めることが可能である。又アリストテレスから中世の公共論、ロック初め市民革命、啓蒙期も守備範囲なのでこれも問題はない。なお、度々勘違いされるが私の本来の守備範囲は道徳哲学、政治哲学である。と言っては見ているが、本学の学生の水準などを加味してそれ程高度の議論でなかったとしても私はあまり落胆しないように準備しておきたいと思う。議論が予想外に高度化してもある程度もこの範疇なら討論を取り仕切る技量はあるであろうと思う。まずもって今回のシンポジウムは何より初めてでありあくまでどのような結果に終わるか実験的に試みる旨が主である。

  • area and time 区域と時間

 出発はあくまで日本『社会』(not 国家)また95年~01年、01年~08年と言う区分を提示したい。前期においては当然オウム事件その他を提起するし、01年以降は9.11のテロを提起しなければならない。ここで提起されるのは信仰をもってしての社会変革の結果としての暴力である。つまり、この例で提示されるのは隣人ではなく他者である。問いはここから始まる。テロと言う形で端的に表わされる他者、それを如何に隣人に回復するかである。まず問うのはテロと言う一見特殊な形態で現われた他者、これはあまりにはっきりと現われた他者、その他者を隣人とすることができるのか?またできるのであればどのような方法でか?又次に問うのがテロのような例はアクシデント、突発的で特殊な事例なのか、我々自身の間にもテロで示されたようなはっきりとした他者性があるのではないか?仮にあるとするならどのような点で、どのような形で?もし仮にそうでないとするならば我々同士の隣人性を保障する基盤は何か?その基盤や方法を上記の他者に適応することは可能なのか否か?(*宗教への寛容*友愛論*)

上記のレベルでは些か抽象的(哲学とは呼び難いだろう)ないしは社会批評的な議論が行われるであろう。シンポジウムがどう転がるか分からないのですが大枠を用意する必要があるので他にも上記の大枠に沿う議題をモジュール化して用意しておく必要がある。

  • コーディネーターの問題

 要するには私の問題である。ネットの皆様にしろ直接に私を知る人にしろ、私はおしゃべりであり、兎も角持論を展開したがる悪習があるわけですが、あくまで今回の立ち居地は司会と言うことで、初めの概要と提題はよいとしても後は基本的に聞き手、引き出すために燃料を投じ、煽る側である。しゃべりすぎに注意しなければならない。大枠でコーディネータが保持しておくべき概念は『信仰(信頼)』『希望(期待)』『愛』である。これらのフレーズを直接に使う必要はないが、議論にタグを割り振り整理する際にはこの三つを使う。

  • パネラー

個別にアポを取っていき、事前ミーティングと参加日時の詰めを行う。(使用教室その他の関係で融通があまり利かないが・・・)

  • 小議題に関して

 上記の他者を如何に隣人とするか、古くからの議論に沿えば『寛容論』となるが議論のベースではあるが、ガチの議論をするのはきついという場合は個別の小議題に降りていく必要がある。それを如何に設定するか。