否定神学と言う身振り

 神学なる語を目にするときには必ずと言ってよいほど“否定”と冠してある。ご苦労なことである。誤解を招かないために言葉を正確に使うのは基本的な事柄であるからそれはかまわないのだけれど、そもそもこの『否定神学』なる語を使う人々はきちんと言葉の意味や定義がわかっていて使っているのだろうかと度々疑問に思う。これは議論の際に〜(哲学者、思想家の名前)の用いる否定神学として以下では論じるという但し書きが必要だと述べているのではない。〜であれ**であれ、彼等の論じている否定神学なる言葉で表わされているものをきちんと把握できているのかが問題なのである。神学の知識はおろか宗教としてのキリスト教すら曖昧な人物がこれらの言葉の指し示す概念や定義を明瞭に把握しているとは到底思えないのだ。