メモ

はい、酔ってるとはゆえ、適当なこと書いてるとまたコメント欄で説教たれられそうなので真面目なちゃんとした話。以前から問題にしてる信徒使徒職に関して先行研究の補足が一通り済んだのでその点についてメモをしておく。
 

  • 先行研究

いちよう上智大学神学部の論文、南山大学、あとカトリック神学院の出す論文集には一通り目を通しました。信徒使徒職に明言しているもののみを拾いました。教会論の関係で触れる可能性もあるのですが、心配しなくても触れてません。そんな応用と含蓄のある神学のできる神学者なんて日本にはいないから。

  1. カトリック神学 1967年   『信徒使徒職とヒエラルキア −その教会法的考察―』 佐々木博
  2. カトリック研究 1972年   『司祭的神の民、信徒の共通祭司職 −『教会憲章』10‐11項をめぐって−』J・S・アリエタ
  3. カトリック研究 1973年   『信徒の司祭職 −Y・コンガールの神学をめぐって−』 V・M・ボネット

 2009年現在での学術論文として「信徒使徒職」を扱っているのは上記の三件だけです。正直神学の研究するの何が楽って、日本語に限れば先行研究が質量共に薄っぺらなので、先行研究を把握するのが楽だということ。無論他にも雑誌の『世紀』であるとか『福音宣教』も漁る必要あるけど、先行研究じゃないし、と言い訳することも可能と言えば可能。と言っても70年までの『世紀』一通りあさって信徒使徒職についての資料は集めたけど。
 というか、予想はしていたけど、酷いね。信徒の教会とか、戯言言う輩が多いけど、目指す気が神学者には無いという事だけは言い切ってかまわんと思う。その代わり下らん論文書いて遊んでますがね連中。ほんと役立たず。
ついでに信徒使徒職関係で言及されるY・コンガールですが邦訳は以下の通りです。

  • 神学ダイジェスト〔号数、ページ数〕
  1. 「一致を求める祈りの神学」 12・27〜31
  2. 「人間 〜この呼ばれている存在〜」 19・56〜60
  3. 「宣教の必要性」 23・37〜43
  4. 「告解の秘跡に関する教えと司牧」 26・27〜37
  5. 「働く聖霊」 37・36〜47
  6. 「教導職と神学者」 43・4〜11
  7. 「母なる教会」 1・3〜6
  • 邦訳

邦訳は現代カトリック思想叢書から
『わたしは聖霊を信じる』 1・2・3
『教会』13
があります。
コンガールについてはヴェリタス書院の『奉仕する教会 貧しい教会となるために』を以前このブログでも紹介しましたが他にも邦訳があるかも知れません。

こんなこと書いてるとあらぬところから突っ込みを受けそうなので書いておくけど、各教会で信徒使徒職についての活動それに伴う連絡会や勉強会があるのは知っています。問題にしてるのはそれをバックアップするはずの神学の現状についてです。見るも無残なわけで。
まとまった信徒使徒職に関する書籍が、神学プロパーではない犬養道子の『生ける石・信徒神学』(自選集6)というのが現状だと言うのに何ら問題意識を持たん時点で日本の神学者がこの領域についてやる気がないのは明らか。個別の司祭がどうかは現場で頑張る人がいるだろうし、教区や個別の小教区での温度差云々もあるかとは思うけど、もっと根本的なところが問題。つまりはどの小教区にいこうとも神学校で司祭は教育を受けるわけだし、それを教えるのはそれこそ以前書いたようにSTLを有する神学者なわけで、その神学者が教える内容はつまるところ彼等神学者が教えられたことかさもなければ自身が研究していることであって・・・要するに論文で書いていること、考えてること以上のことを大学教授が講義で教えることはできないということ。よくもまぁ、講義を聴いてから判断しろとか言えるよね。私お前らの論文読んだ上で判断してるからな。特にうちの学部の若手のアホ教授ども。英語しか外国語ができないとかそれ自体でド阿呆である。論文読んでもやはりド阿呆であるに変わりないけど。ほんとクズ。(研究として)

・・・・モレスキンに取っていたメモを拾っていたら他にもあった。

 『信徒を中心とした教会』レオナルド・ドゥーハン
あとは、神学ダイジェストの翻訳
I・ベーク 「神の民の祭司職」
H・J・ポットマイヤー 「信徒による司牧的奉仕」
C・デュコック 「信仰の活動的な主体である信徒」
G・キーレンケレィー 「新約聖書における信徒の役割」
S・J・エマニエル 「アジアの教会における信徒」
W・カスパー 「世界における信徒の使命」

 これで全部、今のところ調べて出てきたのはこんだけ。 

 前から言ってるんだけど、私「日本の神学」とか嫌いだし、そもそも前提が間違ってると思うんだけど、本気でやる分には応援はする。(批判という名の)ただ、やる気が感じられない。禅だ、仏教だ言う以前に、日本の教会がどのような問題に直面しているのか“から”物事を神学的に考えるのが『日本の神学』だと思うのだけど、私は何か間違っているのだろうか?
 どっちにしろ、今の日本の神学者は無能か、怠惰かのいずれかでしかないけど。