加藤周一

 

羊の歌―わが回想 (岩波新書 青版 689)

羊の歌―わが回想 (岩波新書 青版 689)

 読んだ。現代思想の特集も買おうかと思ったのだけど、興味のある記事が無かったので購入は見送り。

 

現代思想2009年7月臨時増刊号 総特集=加藤周一

現代思想2009年7月臨時増刊号 総特集=加藤周一

吉満義彦に触れた部分があるので、抜書きしておく。

仏文科以外の文学部の講義では、吉満義彦講師の倫理学を聞いた。それは辰野教授の弁舌とはちがう意味で、流暢な弁論であり、途方もなくながい文章を、二時間たてつづけに、後から後から繰り出して絶えまのないものであった。少し後れて教室へ入って行くと、いつもながい文章の途中であり、何分か経ってやっとその文章が終る。「…バルト的、ブルンナー的、ゴーガルテン的、弁証法的、危機的神学において、また十字架の聖ヨハネの恩寵の《夜》の、魂の慄えとの関連において、再びあらわれるのを、見た」―誰が何を見たのか、途中からではわからない。いや、はじめから聞いていても、私には何のことだか意味はほとんでまったくわからなかった。 pp179-180 『羊の歌』

 

吉満義彦全集 (第5巻)

吉満義彦全集 (第5巻)

 全集五巻収録 加藤周一 「吉満義彦覚書―『詩と愛と実存』をめぐって」

吉満義彦(一九〇四―一九四五)は、一五年戦争の日本で生き、盛んに書いていた哲学者・著作家である。その青年時代、自己形成の時期は、自己形成の時期は、いわゆる「大正デモクラシー」と一九二〇年代に重なる。一九二八年にプロテスタントの立場からカトリックに改宗し、二〇年代の最後の二年間をフランスで過ごした。日本では岩下壮一、フランスではジャック・マリタンに師事したという。三〇年代の著作活動は、神学・哲学・文芸批評・文明論の各領域にわtり、同時代の日本の青年に、おそらくカトリック著作家の他の誰よりも大きな影響をあたえた。 p469

 『詩と愛と実存』(一九四〇)は、吉満の多くの著作のなかでも、殊に日本の中国侵略戦争の真最中、太平洋戦争の前夜に、すなわち軍国日本の狂信的な国家主義が頂点に達しようとしていたときに、刊行された。…はじめてそれを読んだときに、私は学生で、かつての自由主義者社会主義者が大学から追放されたり、沈黙を強いられたりしてゆくのを、暗然と眺め、また多くの著作家たちが「転向」し、迎合し、便乗してゆくのを、不安と軽侮の混じった気持ちで眺めていた。私の周囲には知的な荒野があった。そのとき、『詩と愛と実存』は、ほとんど救いのように見えたのである。pp469-470

私は『詩と愛と実存』をめぐり、吉満義彦について、二つのことを誌しておきたいと思う。第一、何故吉満義彦は、いくさの最中に、われわれをひきつけたか。ここで「われわれ」というのは、四〇年前の私自身を含めて、戦時中の青年たちである。私はその「われわれ」を代弁することはできない。しかし今、当時の私自身を振り返ってみることによって、私は「時代」を語ることできる。それは万人にとっての「時代」である。
 第二、何故今吉満義彦なのか。四〇年前の著作には、歴史的資料としての意味を超えて、今日なおどういう意味があるのか。私が今『詩と愛と実存』を読みとおしたのは、たしかに歴史的な興味からだけではなかった。何が私に訴えたか、そのことも、私はここではっきりさせておきたい。要するに吉満義彦の著作が、如何なる点で一時代の文化の制約を超えていたか、また超えていなかったか、ということである。pp470-471

 「何故吉満義彦はわれわれをひきつけたか」については割愛する。

 何故今吉満義彦なのか

一五年戦争は遠く去り、私は今吉満の『詩と愛と実存』を読む。私が今住んでいる世界は、大衆消費社会である。「消費」は、広告によって操作され、大企業と政府によって管理される。「大衆」は、同質化され、画一化され、主観的にはみずから自由であると感じながら実は操作と管理に従順な受け身の対象となる。そういう現象は、今日の先進工業社会のどこにもあらわれているが、殊に日本国で著しいだろう。…個人の主体性、対象化されない人格の主体性は、どこにあるだろうか。「マイホーム主義」は、主体性ではなくて、主体性の錯覚にすぎない。主観的には自己を自由と感じ客観的には操作の対象であるということの、まさに典型的な表現にすぎないだろう。身辺雑事心理小説は、「マイホーム主義」の心理的洗練であって、主体性の回復とは何らの関係がない。なぜなら人格の主体性は、まさに吉満のいったとおり、「存在的」および「存在論的」問題であって、心理的問題ではないからである。しかし『詩と愛と実存』が語っているのは、それ以外のことではない。「実存」とは、吉満の定義に従えば「対象化されない主体的人格」である(本巻十六ページ)。p485

大衆消費社会は、一方で平等を徹底させ(その意味での民主主義)、他方で管理を徹底させる(その意味での反民主主義)ばかりでなく、第三世界の資源と労働力の搾取の上に成りたつ。それが私の今住んでいる世界のもう一つの面である。しかしその面については『詩と愛と実存』は、あるいは吉満義彦の全体は、多くを語らなかった。…おそらく吉満がカトリシズムの精神的意味と、西洋帝国主義と同時にアフリカやアジアにあらわれたカトリック教会の歴史的役割とを、いかに区別し、いかに関連させるか、という問題に、鋭く意識的には係わらなかったということと、深くつながっていたろう、と私は考える。p486

今日の世界の第三の面は、いうまでもなく、核戦争の脅威であり、核戦争は死の非人格化の極端な形式である。核戦争がおこれば、誰も彼もが一瞬の裡に亡びるばかりでなく、死ぬことに何らかの意味を与えるための装置、すなわち価値の体系、あるいは文明の象徴体系の全体が、同時に亡びる。…死は全く非人格的な、名前もなく意味もなく、突然やってきた不条理以外の何ものでもなかった。しかも死の不条理は、生の不条理である。核戦争の脅威は、非人格的で無意味な死(純粋な犬死)の脅威であり、したがって生の無意味化の脅威、生きてゆくことの意味が失われる可能性との不断の対決の過程である。どこに個人の生と死の主体性があり得るか。核軍備競争と、そのなかにまきこまれてゆく日本国の現状を、忘れて暮らすことはできるかもしれない(「考えてもどうにもならないことは、忘れよう)。しかし忘れることと、知らないこととはちがうだろう。ヒロシマの市民は、核兵器の存在を忘れたのではなく、知らなかったのである。知っていて忘れようとするのは、パスカルもいったように、ごまかし、一時の逃避、気なぐさめ(divertissement)にすぎまい。ごまかしのなかに、生きることの意味を見出すことはできないだろう。しかし吉満義彦が語ってやまなかったのは、人格の主体性の、意味にほかならない、「死」において、また「愛」において。pp486-487

私のここでの目的は、吉満義彦という哲学者が、常に、また殊にリルケについては、その「人格的な死」と「愛する者」の概念をとおして、人間の主体的人格を強調しつづけた、ということを、確認すれば、足りる。しかしそれだけではない。p490

 吉満義彦は単に、人生いかに生くべきか、を論じた哲学者ではなかった。彼の主体的人格は、世界を対象化し、規定すると同時に、世界によって規定され、対象化される存在、―ハイデッガー流にいえば、「世界内存在」であった。私がいかに生きようと、世界の構造が変わるわけではない。私は世界に超越し、世界は私に超越する。しかし神は、超越すると同時に内在化し、そのことが神のある世界の構造となるだろう。―なぜそういうことが、今、私の関心をひくのか。おそらく私自身を含めての世界の全体に対して、私の好奇心が強いからであろう。対象化された世界を細分化し、それぞれの領域において蓄積される情報の量は、今では、どんな個人にも見透かすことができないほど大きい。しかしその情報をどれほど多く加算しても、それだけでは世界の全体の構造はみえてこないだろう。他方、世の中がどうなっていようと、私だけが満足して暮らそうという工夫は、二重の理由によって、私の興味をひかない。第一に、「私」の生活そのもののなかに社会が入って来ている以上、そういう工夫は成りたたないだろう、と考えるからであり、第二に、たとえ成りたつとしても、私は私自身を世界の全体のなかでそれほど重要な存在とは考えないからである。私の精神または知活動的は、いうまでもないことだが、私自身の生活の範囲を超える。そのとき、私には、吉満義彦、あるいは彼を通してのカトリシズム、あるいはもっと一般的にいって、自己と世界の全体との相互超越的関係を中心とする思想的営みのすべてが、大きな意味をもつようにみえてくるのである。pp490-491