過去ログ(私と先生)

2007年7月24日の過去ログ

  私と先生

コーヒー飲んだのもあって、少し眠れない。お昼寝したし、睡眠時間は足ってるのかな。でも今日はバイトなので3時ぐらいには寝てしまおう。
で、暇なので・・・明日テストだけど試験勉強終わらしたし。いや。
中高のとき一人とっても面白い国語の先生がいた。それ以外にもイロイロ変な先生はいたけど、まあそれは今度。
その先生にはどの学年で教わったんだっけ・・・・思い出せないけど、中学生のときだったのは間違いなかった。
授業の中身がすごがった。今思えばかなり高度なことを中学生相手にしてたんだな〜と思うのだけど、教科書は全く使わなかった。
私の学校基本検定教科書は使ってなかった。一通り購入はするけど本棚の肥やし。たまに教科書使うといわれてあわてて部屋の中探す感じ。教科書中心の先生って生徒にバカにされてた気がする。というか、つまんなかったし。
その国語の先生の授業なのだけど、映画の批評、シナリオ、演劇、絵本の作成、作詞、詩(確か現代詩?)、漢籍と言うか夏目漱石森鴎外の文章比較して現代の日本語についてどうのこうのだったと思う、あとディベートもした。記憶うる覚えなのであれだけど、授業の度に20分少々課題を与えられて自分の考え書かされたりもした。
今にして思うと、中学生相手に下手したら大学生向けにやるようなことやってたんだなと素直に驚く。先生も授業で言ってたけど君たちが全部が全部わかっているとも思わないし、わかる必要もないが、君たちが優秀であると思うから、私はこの授業をする、と。
でも、先生死ぬほど気分屋で生徒が真面目に聞いてなかったり、プリント忘れたりすると怒って職員室に帰ることがあった。あと、クラスによって好き嫌いが激しかったり、生徒もあからさまにえこひいきしてた。わたし、えこひいきされる側だったけど。
あと、脈略無く思い出したけど、教室に先生いつも国語辞典(たぶん広辞苑)持ってきてて、生徒が課題書いてる時にわからない言葉があれば使ってよいよと使わせてた。むしろ辞書を引くことを強調していたし、辞書の引き方だとかあと、辞書ごとで言葉の意味が違うことだとか授業でそういえばやった、やった。
何か話し飛んだけど、わたし先生の授業好きな方の子だった。胡散臭い言い方だけど教養みたいなものに対する憧れと言うかにおいみたいなのが好きな生徒はみんな好きだったと思う。なんなのかな、実学嗜好な子はあんま好きではなかったみたい。
あと、落ちこぼれてた私にとっては授業中に学校の成績のようなものは人生において重要ではないという趣旨のことを言っていたし、何より褒められること多かったから、単純に授業好きだった。
先生の授業で一番好きだったのが、ディベートの授業、このころから人文的なものより社会学的なものの方が好きだったんだと思う。テーマについて図書室閉まるぎりぎりまで調べて本借りて、家に帰ってノートまとめて・・・・本を読むほうの人間だったと思うけど、新書とか専門書?(大学でいう専門書とはやっぱし違うとは思うけど)きちんと読むきっかけになったのでほんとよかった。
それに、映画を色々と見せてくれて、それについて批評?なのかな、話の中身は覚えてないけど解説してくれたり、TVドラマのシナリオであるとか、あと演劇についても授業で扱ってくれた。身体の重要性って、今になれば現代思想の中で位置づけられものとわかるけど、当時の自分は何を感じてたんだろう?あと、詩についてだとか・・絵本も自分たちで作ったり。
何か色々思うところはあるのだけど、先生は私が卒業するより少し前にお辞めになられたので、すごく残念だった。残念と言うのも私の後輩が面白い授業受けることができないことが残念だなと。でも、先生お年だったし、お辞めになるすぐ前に中学の担任をなさってて・・・正直担任に向くような方ではないので相当疲れたのだと思う。あと、こういうこと言うとあれなのだけど年々学力低下と言うか幼稚化が進んでたので、先生の授業成り立たなかったのかも。私の学年でさえ、親から授業が余りに放縦なので、私はそうは思わないけど、文句つけられて嫌がらせ的にでは役に立つことをしましょうと漢字検定の勉強2ヶ月近くやったことがある。ブログ読んでる人ならわかると思うけど、私規律型の訓練死ぬほどキライなのですごくきつかった。
あと、大学に入ってぼんやり思い返すのだけど、先生大学で教えたいとか考えたりしなかったのかなぁと少し思う。