過去ログ(国語と品格)

2006年5月7日の過去ログ

  其れにつけても国語力のなさぞ悲しきかな

一昨日予備校に行く前に国家の品格の著書、藤原正彦氏のテレビインタビュー(確かテレ朝)を見ていたのですが、その中で氏は国語の重要性を強調されてました。そんな当たり前の事を語気を強めて主張しなくてもよかろうにと話半分に聞いていたのですが、同じ日の現国講師の話で笑い事じゃない事を認識させられ、教養について何か書こうとブログを回っている最中に見つけた大学教員の皆様方のエントリーを読んで泣きそうになる。orz 
藤原氏のインタビューに関しては国家の品格を読んでもらうとして、予備校講師の雑談ともお説教ともつかない話に関してなのですが、かなり凹ましてくれる内容でした。聞いてた当初は真偽のほどを疑ってたのですが、大学教員方の悲痛な叫びとも愚痴ともつかないエントリーを読んでると私の疑念は確信へと変わりました。さて、予備校の講師が何とのたまったか気になるでしょうから書きますと以下のようになります。(かなり端折ってますが)
授業で97年度のセンター本試験の評論文を扱った際のこと・・・・・
まず私が授業を受けているクラスについて書いておかなければならないのですが、私大・国立大混成の文系クラスです。はっきり言って受講生のレベル、現国に関してはお話になりません。なぜなら下のレベルばっかりだから・・・コースによってクラス決まってるからしょうがないのですが、不当な扱いを受けてる気がしてしょうがない。以前受けた学力診断テストの平均偏差値50以下(たぶん46,47ぐらい)、これを講師から聞いたとき私、席立とうかと思いました、本気で。
このような受講生に向けて講師は必死に懇願するわけです(ほんと懇切丁寧)・・やれ新聞記事を読めだの、新書(新書ですよ、新書!岩波とか筑摩文庫でもなく!)を読め、ああ、あと辞書を引けとまで言ってました。かんべんして、私、頭痛くなってくる。中学まででこんなこと終わらしているべきことではないの?いい加減にしてくださいよ!
すいません頭に血が上って見苦しい文章になってしまった。前置き長くなりましたが、国語がニガテな生徒の非常に多いクラスなのが分かっていただければ幸いです。この生徒に向けて講師はこう言うわけです。「国語ができない生徒は大学に行くのやめときなさい、苦労するのは君たちだから」と。何というかほんとに苦労しそうですな。
さらにそのとき講師がした小話。97年度のセンター国語は非常に簡単であった、そのため例年と比べ国語のできない生徒までもが大学に入学することとなった。その例年と比べ国語のできない生徒たちは大学の教授方に、例年と比べ授業態度が悪い、レポートが書けない、資料が読めない、議論ができないと散々な非難を受けた。この批判は東大、京大といったトップレベルの大学からも沸き起こった。この原因として非難された大学センター試験は次年度より国語の難易度を引き上げることとなった。このことからも分かるように国語は大学で必要とされている学力のみならず人間形成の基礎となるものであり非常に重要である。(普通ここまで言い切るか)
らしいのですが・・・・この話の真偽のほどは分かりませんが(本当に例年と比べ学生の質が落ちたのでしょうか?)ですが、97年度の国語本試は非常に簡単であったのは間違えありません。
さて、では大学で必要とされる国語力がどのようなもので、どの程度まで必要なのか?おそらく一番重要なこの情報が大学側からまったく提供されていないように思われます。入学試験において国語がある学部、学科であればその試験で合格点をとればいいのか?なにかが違う気がする。
そもそも、小・中・高と国語の授業を受けてきましたが、そこで重要視されたのは情緒教育であり、論理的に言葉を操る教育は意図的に無視されてる感さえあり、そのような教育を受けてきた学生にいきなり論理的に書かれた文章を読まされ、あまつさえそのような文章を書くように言っても、うまくできるわけがありません。
idfaculty-memberさんはじめ大学で教えておられる先生方は大変な苦労をなされているようですが、大学に入って来る生徒は言語を用いて論理的に思考する訓練を‘まったく’受けてないことを前提に教育を考えないと、教える側にとっても教わる側にとってもストレスが溜まるばかりで一向に改善しないのではないでしょうか?
無論こんなことは大学が手取り足取り教えるべきではないとの批判ももっともなのですが、現在大学で教えておられる先生方と私たち若い世代では読書体験が違いすぎます、当然それによって培われる教養の質も。戦前の教養主義の影響が色濃く残っているであろう先生方は、デカルトハイデガーなどの哲学書や古典的な名著、例えばドストエフスキートルストイカフカなどを若いうちに読んでおられるでしょう、そして知的である事とはこの様な書籍を読み、教養を身につける、この様な共通認識が存在した時代に青年期を過ごされていた。もちろん、私どもを同じ土俵で扱っていただけるのはありがたいのですが、現実問題として文字通り子どもと大人ほど知力が違うわけで、手加減していただかないと打ちのめされて再起不能になります。というわけで、来年どこの大学に行くことになるかはまだ分かりませんが、お手柔らかにおねがいします。20歳なんてまだまだ子供です、遠慮なく子ども扱いにしてください。さてさて、日々精進、受験勉強に戻ります。