雑記
上記のことにも通ずるし、以前にも記した気がしますが、40年近く前の公会議はやはり私からしたら歴史であるし、その意味では当時渦中にいた人たちの熱気であるとか含めで外から眺めることができるのかもしれない。でも、40数年前の教会もキリシタンの教会も同じ一つの教会であるし、何より現実の、地上の教会としてきちんとつながったものでもあるのを最近強く感じる。特に列福式に加えて明治期以降の教会史を検討するようになったのが良い糧になった。
列福式に関して、現代の信徒から当時のキリシタンは遠く離れていてどうもピントこないと言う意見がチラホラ聞かれるのだけど、長崎での信徒発見から現代の教会までの歴史があまりに薄っぺらいものとなっているのがキリシタンを遠く感じてしまう一つの原因となっているように思う。
具体的な問題として明治期以降の教会史中心とした研究があまりに少ないので非常に驚いてる。