自然と人工

 小学生の頃中学受験の国語の問題である言葉の対義語を答えるといったものがあった。自然の対義語は人工であり、人工の対義語は自然である。このごくあたり前の言葉の対比がわれわれの困惑と混同の第一の原因である。人間は自然ではないということである。
 神学的に述べるのであれば人間は被造物の中で特別な位置を占めると述べることとなる。
 人格の陶冶と言う言葉がある。教育では嘘か真かこの人格の陶冶が問題とされる。他人の助けがあるにしろ、自分独力であれ人間は人間を造らなければならない。つまり人間は人工物であり、自然物ではない。狼は自然物であるが、犬は人工物である。何故なら人間による訓練、養育が必要なものであるから。と同時に人間の訓練、変形を経たものを犬と呼ぶのだから。
 そのため教育に於ける自然主義は大きな誤りである。故にルソーを下敷きにした教育理論は誤りであり、またルソーの社会契約説もまた誤りである。我々はこと人間に関して自然主義を主張しえない。われわれ自身が人工のものであるのと同様に社会もまた人工物である。それは人間の当為が介在するものである。