ジャン=ピエール・トレル 『カトリック神学入門』

 手短に書いておく。上に書いてある通り、入試前に買って読んだ。さすがに何も知らないのはまずいだろうと思って書店で目に付いたのでパラパラとめくって購入した。なお、神学の入門書としては以下の書籍がある。(カトリックに関して)

 

カトリック神学への招き

カトリック神学への招き

 神学の基礎となる哲学分野から神学全体の見取り図になるように構成されてるようです。まだ読んでない。日本語で書かれた神学入門書としては初めてだそうです。なんで今までなかったのかが疑問でしかたがないのですが・・・初年度の講義で神学それ自体を問題とする、つまり、方法、前提、対象等々を扱わなかったので私は入学早々機嫌が悪かったのですが、今年度からは改善されてるようです。(http://www.sophia.ac.jp/J/sogo.nsf/Content/sup47)

 

カトリック神学 (文庫クセジュ 438)

カトリック神学 (文庫クセジュ 438)

 出版は『カトリック神学入門』より前、第二バチカン公会議直後なのでその影響が色濃い。いささか読みにくい部分がある。詳しくは機会をあらためて書きます。

 他にもあるとは思うのですが以下『カトリック神学入門』の紹介

カトリック神学入門 (文庫クセジュ)

カトリック神学入門 (文庫クセジュ)

 著者はドミニコ会の修道士でトマス・アクィナスの研究者でもある。本書もトマスの神学に沿いながらカトリック神学とその歴史、性格、方法について説明がなされる。神学の歴史、発生から展開(第一章、第二章)、つまり教理史、神学の方法論(第三章)つまり理性と信仰の関係、実証神学(第四章)、つまり教父学と聖書学と思弁神学との関係、現代神学の諸相(第五章)となる。

 著者は、神学を「啓示と理性の二重の照明のもとに、信仰について深く省察することである」(p5)とみなす。どんな神学にも肝要な三つの要素として啓示、信仰、理性をあげる。その意味で、「自分の信仰を理解しようと試みたキリスト者こそ、それと知らずに神学した人だった、と言えるであろう」(p7)と述べる。
 著者は、神学を「人間の努力から生まれる」(p8)ものであるとし、それ故に神学は「それらを導く哲学ないしは方法論の選択肢に従って枝分かれする可能性があり、拮抗することさえありうる」(p8)と述べる。なお著者はここ最近、「カトリック神学者たち相互の違いが、教会学のさまざまに分岐した選択肢から生じ、共通の哲学の不在に、より深く根をおろしているように」(p8)見えるものの、だからといって現代の神学者が「同時代の諸々の要請や新しい道の模索に対して注意を払うことを排除するものではないが、だがそのために「信仰の知的理解」という究極目標をふるい落とすことはおよそありえない」(p152)と述べる。そして、この目標のためには「キリストと使徒たちから受け取った信仰に専心することと、それを教会の土壌に深く根づかせることが同時に要求される」(p152)と述べる。

 なお初めて読んだときには理解できなかったこと、特に昨今の「共通の哲学の不在」による不一致については、神学部に二年籍を置くだけ(二年間講義で学んだとは口が裂けても言えないが、なぜなら私は落第生であるから)でもいやでも理解させられた。方法が何であれ、「啓示された事柄に敬意を表するかぎり、それらはいずれも正当なものではあるが、みながみな理性からみて妥当なものであるとはかぎらない。それらの妥当性は、それらが内面的にも外面的にも首尾一貫性を備えているかどうかで判断できる」(p8)との著者の意見にはあらためて読み直したときと以前とでは言葉の重みが違って感じられた。
 特に第五章「現代神学の趨勢と諸問題」において著者が試みようとしている「第二ヴァティカン公会議が巻き起こした大きな興奮の余韻のなかにある神学の現況を記述しようとする試み」(p120)は容易な作業ではなく、このことは初学者にとっての困難をも意味するのではなかろうか。「極度に多様化し」(p120)「神学的知識の領域の細分化が進み、専門に分かれてそれぞれ自立性をつよめ」(p120)る状況で、神学を学び始めるということは何から始めてよいか全くわからないことをも意味する。
 「神学のこうした位置変動とその重大性に、神学の現在と未来に、これほど多くの問いが発せられた時代はいままで一度もなかったのである。ニューマンに倣っていうならば、ある意味ではよい結果をもたらすこうした変化をくぐりぬけて永遠普遍のタイプが生きながらえるか、それとも現代性が「深く根づいたもの」に対して勝利を収めるか、という問いをここでも発して、その答えを見きわめておかねばならない。」(p122)と著者は述べるが、あくまで私個人としては“永遠普遍のタイプ”の神学に心引かれる。
 なお、四谷の大学で行われる神学は著者が述べる「新しい主役」(p120)つまり「西欧以外の神学者たち(ラテンアメリカ、アジアなど)」(p120)による「カール・ラーナーがかつて「人間学的回心」と名づけたものから広く生まれ」(p120)た神学である。なおここで私は以前のように神学がヨーロッパのしかも聖職者に限られればよいと述べるつもりはない。ただ、初学者にとって広がり続ける各分野を学ぶための適当な入門、また神学者同士がお互いの成果を生かすために共通のプラットフォームがやはり必要ではないかと述べたいのであり、また教導職との間で神学者の行き過ぎがいささかあるのではないかと懸念するだけである。
 教導職との関係であるが、当然ながら大学に入る前にはそれほど気にもならなかったが著者の以下の指摘は重要であると思う。
 

 新たな緊張がたかまるたびごとに、神学の専門誌に洪水のようにあふれる論説の数々は、このタイプの論議の陥りやすい自己中心的態度の危険を雄弁に物語っている。結局のところ問われているのは神学者たち自身でも教導職そのものでもなく、神の民の幸福なのである。したがって、神学者たちも教導職も、それぞれ、神の民に対してとるべき態度を定義しなおすことが肝要である。神学の機能と教導権の機能は―専門領域が排他的に一方にかぎられた―「競合的な」ものではなく、むしろ「一点に収束する」二つの大きな力として定義づけられる。両者は、ただ一つの信仰、同じ一つの神のことばに仕え、唯一の神の民のなかにある―ただし同じ面においてではない―二つの機能である。 p148

 一人の学者の学問的な教導権は、その性格そのものからして、限定され、一時的なものである。限定されているというのは、この教導権は、それを行使する人の専門領域にかぎられているからである。一時的であるというのは、弟子が師匠の学問の域に到達してしまえば、師匠の優位性は消滅してしまうからである。人類の学問は、このように新しい世代が古い世代を乗り越えることによって進歩する。神学という学問の領域でも、事情はほとんど変わらない。神学の及ぼす教導権は、秘蹟と霊的賜物によって、信仰の十全性と福音に従うキリスト教的生活の正しさを注意部深く見守る役割を授かった司牧者たちの教導権とはくらべものにならない。神学者も教会のなかに組みこまれているのだから、彼の教えの有効性は教える当人の専門的能力だけでは測れない位階組織の司牧的使命にも従わなければならないのである。それに、そこで学問的な基準がどれほど重要であるにしても、それだけがすべてではない。信仰が正統なものであること、そしてキリスト教的な生活習慣に関する教えが福音書の精神と合致していることも、決定的な基準となり、この基準からこのカトリック神学者の使命行使の在り方を評価しなければならないのである。もちろんそれだけですべての問題を解決できるわけではない。そうすることによって神学者たちを彼らの学問の本来の場に送り返すことができるのである。pp149-150

いささか引用が長くなったが、キリスト者としての信仰理解が神学の根底にあること、そして信仰は父なる神と母なる教会に結ばれていることをあらためて思い返し、そこから神学の全体を見直す必要があるように私には思われる。その意味からも、神学は聖職者のみのものではなく、一般の信徒にあっても学ぶことができるものであること、そして初学者のための神学入門が必要不可欠であるとも思う。
 なお、以上からもわかるようにトレル師は神学を信仰から始めている。このことは至極全うであり正当であるとも思うのだが、もし欲張るならば神学による探求はいまだに信仰をえていない人にとっても有益であるし、またそれらを提供するのも神学者の役割であると私には思われる。

最初が肝心

 

カトリック神学入門 (文庫クセジュ)

カトリック神学入門 (文庫クセジュ)

 
トマス哲学入門 (文庫クセジュ)

トマス哲学入門 (文庫クセジュ)

 入試二次試験用に大学入る前に買って読んだ。なんだか、この時点で方向性を間違ったように感じる。教皇の講義に引かれる辺りからして、主知主義的なものの考え方なのかもしれない。イエズス会の神学と反りが合わないのも無理がない気もする。でも、スアレスの研究するまではあきらめない。これやってダメだとするとほんとに合わないのだと思う。

加藤周一

 

羊の歌―わが回想 (岩波新書 青版 689)

羊の歌―わが回想 (岩波新書 青版 689)

 読んだ。現代思想の特集も買おうかと思ったのだけど、興味のある記事が無かったので購入は見送り。

 

現代思想2009年7月臨時増刊号 総特集=加藤周一

現代思想2009年7月臨時増刊号 総特集=加藤周一

吉満義彦に触れた部分があるので、抜書きしておく。

仏文科以外の文学部の講義では、吉満義彦講師の倫理学を聞いた。それは辰野教授の弁舌とはちがう意味で、流暢な弁論であり、途方もなくながい文章を、二時間たてつづけに、後から後から繰り出して絶えまのないものであった。少し後れて教室へ入って行くと、いつもながい文章の途中であり、何分か経ってやっとその文章が終る。「…バルト的、ブルンナー的、ゴーガルテン的、弁証法的、危機的神学において、また十字架の聖ヨハネの恩寵の《夜》の、魂の慄えとの関連において、再びあらわれるのを、見た」―誰が何を見たのか、途中からではわからない。いや、はじめから聞いていても、私には何のことだか意味はほとんでまったくわからなかった。 pp179-180 『羊の歌』

 

吉満義彦全集 (第5巻)

吉満義彦全集 (第5巻)

 全集五巻収録 加藤周一 「吉満義彦覚書―『詩と愛と実存』をめぐって」

吉満義彦(一九〇四―一九四五)は、一五年戦争の日本で生き、盛んに書いていた哲学者・著作家である。その青年時代、自己形成の時期は、自己形成の時期は、いわゆる「大正デモクラシー」と一九二〇年代に重なる。一九二八年にプロテスタントの立場からカトリックに改宗し、二〇年代の最後の二年間をフランスで過ごした。日本では岩下壮一、フランスではジャック・マリタンに師事したという。三〇年代の著作活動は、神学・哲学・文芸批評・文明論の各領域にわtり、同時代の日本の青年に、おそらくカトリック著作家の他の誰よりも大きな影響をあたえた。 p469

 『詩と愛と実存』(一九四〇)は、吉満の多くの著作のなかでも、殊に日本の中国侵略戦争の真最中、太平洋戦争の前夜に、すなわち軍国日本の狂信的な国家主義が頂点に達しようとしていたときに、刊行された。…はじめてそれを読んだときに、私は学生で、かつての自由主義者社会主義者が大学から追放されたり、沈黙を強いられたりしてゆくのを、暗然と眺め、また多くの著作家たちが「転向」し、迎合し、便乗してゆくのを、不安と軽侮の混じった気持ちで眺めていた。私の周囲には知的な荒野があった。そのとき、『詩と愛と実存』は、ほとんど救いのように見えたのである。pp469-470

私は『詩と愛と実存』をめぐり、吉満義彦について、二つのことを誌しておきたいと思う。第一、何故吉満義彦は、いくさの最中に、われわれをひきつけたか。ここで「われわれ」というのは、四〇年前の私自身を含めて、戦時中の青年たちである。私はその「われわれ」を代弁することはできない。しかし今、当時の私自身を振り返ってみることによって、私は「時代」を語ることできる。それは万人にとっての「時代」である。
 第二、何故今吉満義彦なのか。四〇年前の著作には、歴史的資料としての意味を超えて、今日なおどういう意味があるのか。私が今『詩と愛と実存』を読みとおしたのは、たしかに歴史的な興味からだけではなかった。何が私に訴えたか、そのことも、私はここではっきりさせておきたい。要するに吉満義彦の著作が、如何なる点で一時代の文化の制約を超えていたか、また超えていなかったか、ということである。pp470-471

 「何故吉満義彦はわれわれをひきつけたか」については割愛する。

 何故今吉満義彦なのか

一五年戦争は遠く去り、私は今吉満の『詩と愛と実存』を読む。私が今住んでいる世界は、大衆消費社会である。「消費」は、広告によって操作され、大企業と政府によって管理される。「大衆」は、同質化され、画一化され、主観的にはみずから自由であると感じながら実は操作と管理に従順な受け身の対象となる。そういう現象は、今日の先進工業社会のどこにもあらわれているが、殊に日本国で著しいだろう。…個人の主体性、対象化されない人格の主体性は、どこにあるだろうか。「マイホーム主義」は、主体性ではなくて、主体性の錯覚にすぎない。主観的には自己を自由と感じ客観的には操作の対象であるということの、まさに典型的な表現にすぎないだろう。身辺雑事心理小説は、「マイホーム主義」の心理的洗練であって、主体性の回復とは何らの関係がない。なぜなら人格の主体性は、まさに吉満のいったとおり、「存在的」および「存在論的」問題であって、心理的問題ではないからである。しかし『詩と愛と実存』が語っているのは、それ以外のことではない。「実存」とは、吉満の定義に従えば「対象化されない主体的人格」である(本巻十六ページ)。p485

大衆消費社会は、一方で平等を徹底させ(その意味での民主主義)、他方で管理を徹底させる(その意味での反民主主義)ばかりでなく、第三世界の資源と労働力の搾取の上に成りたつ。それが私の今住んでいる世界のもう一つの面である。しかしその面については『詩と愛と実存』は、あるいは吉満義彦の全体は、多くを語らなかった。…おそらく吉満がカトリシズムの精神的意味と、西洋帝国主義と同時にアフリカやアジアにあらわれたカトリック教会の歴史的役割とを、いかに区別し、いかに関連させるか、という問題に、鋭く意識的には係わらなかったということと、深くつながっていたろう、と私は考える。p486

今日の世界の第三の面は、いうまでもなく、核戦争の脅威であり、核戦争は死の非人格化の極端な形式である。核戦争がおこれば、誰も彼もが一瞬の裡に亡びるばかりでなく、死ぬことに何らかの意味を与えるための装置、すなわち価値の体系、あるいは文明の象徴体系の全体が、同時に亡びる。…死は全く非人格的な、名前もなく意味もなく、突然やってきた不条理以外の何ものでもなかった。しかも死の不条理は、生の不条理である。核戦争の脅威は、非人格的で無意味な死(純粋な犬死)の脅威であり、したがって生の無意味化の脅威、生きてゆくことの意味が失われる可能性との不断の対決の過程である。どこに個人の生と死の主体性があり得るか。核軍備競争と、そのなかにまきこまれてゆく日本国の現状を、忘れて暮らすことはできるかもしれない(「考えてもどうにもならないことは、忘れよう)。しかし忘れることと、知らないこととはちがうだろう。ヒロシマの市民は、核兵器の存在を忘れたのではなく、知らなかったのである。知っていて忘れようとするのは、パスカルもいったように、ごまかし、一時の逃避、気なぐさめ(divertissement)にすぎまい。ごまかしのなかに、生きることの意味を見出すことはできないだろう。しかし吉満義彦が語ってやまなかったのは、人格の主体性の、意味にほかならない、「死」において、また「愛」において。pp486-487

私のここでの目的は、吉満義彦という哲学者が、常に、また殊にリルケについては、その「人格的な死」と「愛する者」の概念をとおして、人間の主体的人格を強調しつづけた、ということを、確認すれば、足りる。しかしそれだけではない。p490

 吉満義彦は単に、人生いかに生くべきか、を論じた哲学者ではなかった。彼の主体的人格は、世界を対象化し、規定すると同時に、世界によって規定され、対象化される存在、―ハイデッガー流にいえば、「世界内存在」であった。私がいかに生きようと、世界の構造が変わるわけではない。私は世界に超越し、世界は私に超越する。しかし神は、超越すると同時に内在化し、そのことが神のある世界の構造となるだろう。―なぜそういうことが、今、私の関心をひくのか。おそらく私自身を含めての世界の全体に対して、私の好奇心が強いからであろう。対象化された世界を細分化し、それぞれの領域において蓄積される情報の量は、今では、どんな個人にも見透かすことができないほど大きい。しかしその情報をどれほど多く加算しても、それだけでは世界の全体の構造はみえてこないだろう。他方、世の中がどうなっていようと、私だけが満足して暮らそうという工夫は、二重の理由によって、私の興味をひかない。第一に、「私」の生活そのもののなかに社会が入って来ている以上、そういう工夫は成りたたないだろう、と考えるからであり、第二に、たとえ成りたつとしても、私は私自身を世界の全体のなかでそれほど重要な存在とは考えないからである。私の精神または知活動的は、いうまでもないことだが、私自身の生活の範囲を超える。そのとき、私には、吉満義彦、あるいは彼を通してのカトリシズム、あるいはもっと一般的にいって、自己と世界の全体との相互超越的関係を中心とする思想的営みのすべてが、大きな意味をもつようにみえてくるのである。pp490-491

教育者の自戒

 
 自分がやられていやだったことは他人にするな、は鉄則であるとは思うのだけど(黄金律とはほど遠いけれど)
ものを教えたがるないし、教えるとき『〜を教える』という態度をとりがちであるけど本来は『〜で教える』が正しい方法であると思う。ただこの方法には相手に対しての忍耐と寛容、それを基礎付ける信用がないとできないようにも思う。
 まかり間違ってものを教える職業につかざるえなくなった場合にはこの鉄則だけは守りたい。

思想学の現在と未来

 

思想学の現在と未来 (現代世界―その思想と歴史)

思想学の現在と未来 (現代世界―その思想と歴史)

 未来社のPR誌『未来』連載のエッセイをまとめたもの。田中浩、浜林正夫、飯島昇藏、田中秀夫、泉谷周三郎、加藤節、柴田寿子、小野紀明、柴田平三郎、半澤孝麿、和田守、大木英夫。
 半澤氏はじめ幾人かの人の著作は読んだことがある。あと自分がやりたかった研究って結局のところ思想史であるとか思想学?だったのだなとあらためて思う。正直のところこの手の学問はあんまり受けないと思う。思想史自体がかなり孤独というか、理解されずらい方法論であるし、方法で踏まなければならない手順や知識が多くなりがちなため、碩学しかやれないというか・・・・能力の無い人間が手を出すとあっという間に蛸壺になってしまう。上記の研究者全般に言えるのだけど、思想家を扱う際に“政治”思想の側面から考察するにしても哲学や神学の知識がなくてよくなるわけではなく、この点について幾人かの研究者はよく心得て配慮しているとも思うのだけど、それでも正直のところまだ不足があるように私には感じられる。こういう点を埋める必要もあるだろうから、私は神学を最悪でも学部程度は学んでおこうと思ったのだけど、失敗した。
 思想史、特に政治思想の研究に関してはあきらめたわけだけど、こういう研究者のためにも神学の方面から必要な補助となるような研究をできるようにはなりたいと思う。 

沢田和夫、日本カトリックの神学業績―バチカン公会議開催中に見る―、日本の神学、1963

 第二バチカン公会議第一会議終了後、第二会期開催前に書かれた。

 

さる一九六二年十月十一日第二バチカン会議が開催され、日本からは東京大司教土井辰雄枢機卿はじめ、各教区の司教十四名が参加し、十二月八日をもって第一会期を終えた。司教団神学顧問にパウロ・フィステル神父、長江恵司教神学随員に沢田和夫神父が随行した。その第二会期は今年九月八日からということになっている。 p119

 第二バチカン公会議準備期間において日本人の手による論文。

 …準備は一九五九年来三年がかりで行われてきたが、この準備段階における論文として、日本人の手になるものには、南山大学 沢田昭夫「カトリック的改革」(『世紀』一九五九年七・八月号)、「公会議とは何か」(『世紀』一九六〇年五月)、「第二バチカン公会議と教会の一致」(『世紀』一九六一年二月)、「バチカン会議への道」(『世紀』一九六一年九月)の四つをまずあげることができる。 p119

 引用者補足:本論考注 小林珍雄「第二バチカン公会議について」(上智大学『ソフィア』一九六一年10巻3号)

 典礼に関して以下長いが引用する。

 まず議案の審議順序であるが、議長団が、神学委員解作製の「啓示の源泉」等四つの議案をあとまわしにして、第五「典礼」の議案を最初に取上げることにしたことも注目すべきことであった。これは全然革新の風のない四議案に比して典礼の議案が、はじめからかなり革新的なものと見られていたからである。ここで保守とでも称すべきは、つまりキリストにまでさかのぼる典礼の本質的なものはいうまでなく、典礼用語と外形について、アウグスチヌスとかアンブロジウス以来の伝統をくずすまいと恐れ、典礼の改革はすべてローマの専属管轄にしておこうという考え方であり、革新というのは典礼の不可変的部分と可変的部分とを区別して可変的なものには思いきり諸国民の独創性を取り入れようとし、典礼改革を少なくともある程度まで、各国の司教団にゆだね、さらに音楽・芸術の分野では一般信徒の発意を取入れる機構を認めようとする流れをいうこととしよう。この二つの流れが、はげしくせりあったのであるが、革新の力が前進した形である。十一月十四日にようやく討議を終え中間採決をした結果、賛成二一六二、反対四六、無効七という数が出て、長年の典礼改革問題も、ここで一応勝負がきまった。つまり、典礼における劃一主義がゆるめられ、諸国民の独創性がおりこまれることになる。ラテン典礼をひとりよしとするのではなく、東欧典礼の比重が上る。多様性における一致が力説されるようになる。これはエキュメニカルな意味をも持つ。こういう方向がはじまったといえるのである。 p120

 私はあれやこれや典礼について述べる必要を感じないし、述べるつもりもないが、何か述べるのであれば当然ここで記されている公会議以前の典礼改革の流れ、また公会議でどのような議論がなされたのか、その結果作製された公会議公文書、また各地方教会での具体的適応と順を追って議論をすべきだと考える。

社会問題について

貧困に関して

 他人からはそう見えないでしょうが社会派のつもりです。でも、自由主義神学なる傾向は死ぬほど嫌い。これも一昨年の暮れに渋谷でやっていた野宿者の炊き出しの手伝い(ただ大した手伝いができたとは思わない)に行ってきた。
 何をしたかというと炊き出しのご飯を一緒に作ったり、暇な時間に一緒に話したり、将棋さしたり・・・etc
 中高の聖書の勉強会のときにも野宿者の問題とか貧困とか取り上げることはあった。でも、そのときは正直のところ、信仰/社会正義(狭義の倫理)とは私の中ではまったくつながりを持ってなかった。当然といえば当然で、当時の私は神を知らなかったわけだから。
 この手の問題に関して、形而上の事柄と形而下の事柄がいかに結びつくかは倫理学の根本問題なわけだけれど、そういう難しい話ではなくてもっと身近なと言うか、身につまされる話。
 同じように手伝いに来ていたある女学生が、こういう活動(つまり慈善活動)に教会にいる友達なんかがあんまり興味を持ってくれないし、腰が重いのが残念だと・・・で、お祈りばっかりしてるという趣旨のことを述べるのを聞いたわけです。
 この意見にはうなずくところ大なのだけど、と同時にお祈り(祈りで象徴的に表されている事柄)もやっぱし大事であると思う。問題なのは祈りと慈愛の行いとの繋がりがどうなのか、考察することが今の教会には足りてないのではなかろうかと思う。
 無論、大学入ってからというもの当初の目的の自然法論についてろくに学べないは、社会教説への考察は足りてないは・・・連関する政治学やらの方面との連絡線も弱いし等々内心不満ではらわた煮えくり返っていたので、その当時の怒りを差っぴくにしても、やはりもう少し両者(祈りと行動)との間の繋がりや協力について考察する必要があると思う。なんと言うか、両者が反目したり完全に分離してしまっては双方共に持ち味を損なってしまうように思う。
 あと、これは以前に述べたことにも通じるのだけど、教会の用いる社会分析の手法は正直のところ古いし的外れの部分が多いように思う。(これは学識者と司教に課せられた仕事なのでまた別で扱うべき)
 
付けたし 共産主義と言うより、広義のマルクス主義について

 で、そもそも批判するにしても肯定するにしても、貧困問題即社会主義共産主義とするのは短絡的すぎるだろうと思う。キリスト教民主主義という選択肢が我が国の社会において取りえないことが大いに残念であるし、きちんとやることやれてないという外部の批判についてはまず受けないといけないとも思う。
 話は変わって共産主義についてなのだけど、マルクスの『資本論』なんて座右で毎日とは行かないまでも折に付けて読んで自分の行動規範にしてる生粋のマルクス主義者って今現在日本に何人いるんだ?おそらく熱心なカトリック信徒並に少ないと思うのだけど。
 かく言う私も中学生の頃に岩波文庫の『資本論』は買ってきて読もうとしました。読んではない、一章の冒頭部あたりで読むのをあきらめた。当時の感想を思い出すに、こんな難しい書籍を読み込んで理解し、行動規範にするような奴はいないだろうし、もしいるとしたなら質問攻めにして試せばよい、といった感じだったと思う。同じようにこんなわけのわからない本読んで理解して信じるなんて奴はとんでもないと思っていたのが聖書なのですが、6年延々質問攻めにし、否定しようとしていたけれど、結果としてミイラとりがミイラになってしまった。中高の頃に優秀なマルクス主義者と一緒に読んでたらもしかしたら私も今頃は共産主義者だったかもしれない。
 それはともかくとして、マルクスに関して言えることはベースになっているヘーゲル哲学からしカトリックの信仰理解、基礎哲学と協調させることは困難であろうし、それにもまして神学、形而上学を批判否定したフォイエルバッハは申し訳ないが神学やる人間の敵でしかないわけで、思想としての共産主義については見るべき点はないと考える。

平和について

 これは書くと長くなるので短くαとΩのみ書くと、人間の回心が唯一の問題であると思う。これがすべからく平和について云々行動するにしろ議論するにしろ始めであり終わりであると思う。