クルトゥルハイムに関してのメモ

  • 岩下壮一(確認済み)
  • 吉満義彦(確認済み)
  • 田中耕太郎(ほぼ確定)
  • 柳宗悦(未確定)
  • 三木清(ほぼ確定)
  • 清水幾太郎(未確定)
  • 古在由重(未確定)
  • 丸山真男(未確定)

岩下壮一から三木清までの人物は当時(1930s)にクルトゥルハイムでおこなわれていた交流会、勉強会に出席していた。
 1930年代 カトリック大辞典の編纂室を中心とした研究グループがあった。その中心はイエズス会のFr.クラウス(不明?)であり、彼は社会学者であった。三木清以下の人物はこの研究グループに出入りし、丸山真男もこのグループに出入りしクラウス神父からドイツ語を教授されていた。(未確定)
*注*
確認済みは複数資料、ほぼ確定は単一資料、未確定はwebによる情報が主、元の紙資料を確認する必要あり。
*必要な調査*
カトリック大辞典の編集者等の調査、大学史の再度の掘り返しが必要。

*雑感*
 意外なところで意外な発見があり、非常に喜ばしく思っている。クルトゥルハイムについていくらか補足の説明が必要と思われるのでおこなっておく。クルトゥルハイムは上智大学内に現在でもある建物である。現在は聖堂として使用している。元々は上智大学創設時に購入した建物の一つであり、関東大震災、また戦災にあいながらも奇跡的に損壊を免れた建築物でもある。初期においては大学の講義などもおこなわれていたが、校舎の整備に伴い1930年代にはカトリックインフォメーションセンターとしての役割を負うようになる。要するに、学内、学外の人に対してカトリックの窓口として機能していた。その活動の一部として、時事的・社会的又哲学的・宗教的な事柄に関して識者を招いて月一回のシンポジュームのようなものがおこなわれていた。